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伴月楼記念館(関家住宅)概要: 伴月楼記念館は江戸時代末期の安政年間(1854〜1860年)に建てられた松代藩(藩庁:松代城)の藩士である関家の邸宅として建てられた武家屋敷です。
伴月楼記念館が位置する桑原宿は善光寺西街道(北国西街道)の宿場町でしたが、上田藩が隣の稲荷山を宿場町として整備した為、多くの住民や寺院などが稲荷山宿に遷され衰微しました。
一方、松代藩は善光寺西街道を参勤交代で利用したものの、稲荷山宿は上田藩領だった事から、桑原宿を私宿として整備し、藩主専用の本陣が設けられ、多くの松代藩士が宿場を利用しました。
関家は当地の在郷武士だったとも云われ、幕末の当主だった関新右衛門長昭は早くから学問を志し、松代藩から才能が認められると、江戸や、京都、大坂に赴き藩の遣いなどの役割を担いました。
幕末には同じく松代藩士で兵学者・朱子学者・思想家、松代三山の一人に数えられた佐久間象山とも関係が深く、象山が桑原宿を利用した際には当家に宿泊したとされます。
特に関家には佐久間象山墨跡や書簡が数多く残されており、歴史資料として貴重な事から墨跡16点、書簡10点が昭和61年(1986)に千曲市指定有形文化財に指定されています。
又、屋敷の「伴月楼」は佐久間象山の師である佐藤一斎が命名したとも云われています。
跡を継いだ関長堯も佐久間象山の門人で、文久年間(1861〜1864年)には桑原宿内に境内を構えている佐野薬師に国学者である飯塚久敏を招いて「西行法師旧跡の碑」を建立しています。
関長堯は明治12年(1879)1月4日付で長野県十等属第一課地方税調査掛に就任し、当地の砂防事業に尽力しています。
伴月楼の敷地は広大で、正面の長屋門は寄棟、桟瓦葺、外壁は大壁造り土壁鏝押え、腰壁は下見板張り縦押縁押え、武者窓付。
主屋は木造2階建、切妻、桟瓦葺、平入、2階開口部は格子戸、外壁は真壁造り白漆喰仕上げ、腰壁は下見板張り縦押縁押、越屋根付、式台付玄関付。
敷地正面には長屋門の他、土蔵2棟、巡見使が利用したとされる薬医門形式の表門などがあり格式が感じられます。
庭園に生えるモウソウチクは文久2年(1862)に作庭された際に植樹されたもので、本数百本以上のモウソウチクが繁茂し、貴重な事から千曲市の保存樹に指定されています。
同じく、敷地内にあるコウヤマキも江戸時代末期頃の植樹とされ、樹高24m、幹周2.1m、近在にない大木として貴重な事から千曲市の保存樹に指定されています。
現在は伴月楼記念館として書幅及びたばこ盆、酒器、髪飾りなどの生活用具を展示しています。
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