大伴神社(佐久市望月)

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概要・歴史・観光・見所
大伴神社(佐久市・望月宿)概要: 大伴神社は長野県佐久市望月字御桐谷に鎮座してる神社です。大伴神社の創建は景行天皇40年(110)に大伴氏の祖神である天忍日命の分霊が勧請されたのが始まりと伝えられています。その後は大宝年間(701〜704年)に制定された牧場の1つ望月牧を管理した望月氏(望月氏は大伴氏の子孫とも言われています。)に庇護されたと考えられ御牧七郷の総社、望月牧鎮守社として広く信仰されるようになりました。又、伝承によると当社の祭神が名馬に乗って当地に出現し、その名馬を種馬として馬の繁殖を図り信濃国最大の望月牧へと発展したとも云われ、大伴神社と馬、望月牧との関係性が窺えます。

格式も高く、文徳実録によると仁嘉元年(851)には正六位上に、三代実録によると延長5年(927)には従五位上を賜り、延喜式神名帳に記されている式内社、佐久三社(大伴神社・長倉神社・英多神社)の1つに数えられました。

望月氏はその後も篤く崇敬し天慶2年(939)の平将門の乱の際には望月國忠が戦勝祈願をし、長享2年(1488)に村上氏との兵火で焼失すると当時の当主望月盛世が社殿を再建しています。天正10年(1582)、徳川方の依田信蕃に侵攻され望月城は落城、望月家も没落した為、大伴神社は庇護者を失いましたが、天正17年(1589)には社領として3270文が安堵され、江戸時代には除地として4石1斗5升7合が認められていました。江戸時代後期の寛政年間(1789〜1801年)には、既に佐久郡総社の地位を確立していた新海神社(長野県佐久市田口)の神事参加を拒否し騒動となっています(式内社である大伴神社が式内社ではない新海神社の傘下に入るのは筋違いと主張)。古くから神仏習合し「大伴明神」と呼ばれていましたが、明治時代初頭に発令された神仏分離令を経て村社に列しています。

現在の大伴神社本殿は延宝5年(1677)に建てられたもので、三間社隅木入春日造、こけら葺、江戸時代初期の神社本殿建築として貴重な存在です。拝殿は木造平屋建て、切妻、桟瓦葺き、平入、桁行4間、張間3間、外壁は真壁造白漆喰仕上げ。毎年8月15日に奉納される例祭「榊祭り」(佐久市指定無形民俗文化財)は信州の奇祭とも称される特殊神事で松明山から松明を揚げて望月橋まで一気に駆け下り、その松明を橋から鹿曲川へと投げ込み五穀豊穣や無病息災を祈願します。祭神は天忍日命、天道根命、月読命。旧村社。

大伴神社:写真

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