茂田井宿

  長野県:歴史・観光・見所中山道(信濃路)>茂田井宿

概要・歴史・観光・見所
茂田井宿(佐久市)概要: 茂田井宿は望月宿芦田宿の間にある宿です。所謂、宿場制度の中で認められた宿場町ではなく、「間宿」や「間の宿」と呼ばれる存在だった為、公的な施設である本陣や脇本陣、許可が必要な旅籠などの設置が許されず、寛保2年(1742)に望月宿が洪水で大被害を受けた時に加宿しようと幕府に願い出たときも却下されています。ただし、茂田井村の名主を歴任した大澤酒造(大澤市郎右衛門家)はそれらに準じる役割を持ち身分の高い人物が利用したと思われます。

幕末の文久元年(1861)11月7日には仁孝天皇の第8皇女である和宮親子内親王が幕府と朝廷が共同して国難を乗り切る「公武合体」の思想に基づき14代将軍徳川家茂の御台所となる為に降嫁の際、茂田井宿も行列が通過し、12軒が御弁当宿として担当しています。元治元年(1864)11月19日には水戸浪士が中心となり結成された天狗党(水戸藩の尊王譲位派によって結成された組織)が15代将軍徳川慶喜に天狗党の思想を陳情する為、水戸から京都へ上洛で中山道を利用、幕府は中山道周辺の諸藩に天狗党討伐を命じ、それに従った小諸藩は藩兵を派兵し、その内400名余りが茂田井宿を宿所として利用しています(大澤家では小諸藩から拝領した甲冑などを所有しいています)。

明治維新後も大きな変動がなかった為、良好な町並みが残され、特に名主だった大澤家(大澤酒造民俗資料館・しなの山林美術館)や明治元年(1868)創業の造り酒屋「武重本家酒造」は敷地内に30棟の国登録有形文化財に登録された古建築が建てられており、町並みの景観に大きく寄与しています。宿場の外れの茂田井一里塚跡(立科町指定史跡)は現在小さな石祠が建立されているのみですが天保年間(1830〜1844年)に編纂された「茂田井村差出帳」によると往時は街道の左右両側に塚が設けられ榎が植えられていたようです。鎮守と思われる茂田井諏訪神社の創建は不詳ですが天正16年(1588)に当時の小諸城の城主松平康国が当社に対し社領の寄進と軍役の義務の書状が残されている古社です。現在の社殿は文化15年(1818)に名工田中圓蔵が棟梁として手掛けた古建築で、一間社流造、江戸時代後期以降の社殿建築の特徴である精緻な彫刻が随所に施されています。

茂田井宿(町屋・町並み):写真

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茂田井宿・神社・寺院・城郭・古民家

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