下諏訪町概要: 下諏訪町にある和田峠は古くから一大産出場とされ、関東周辺の縄文時代の遺跡からはこの地域で生産された黒曜石が見つかっています。古代から創建の諏訪大社下社(6世紀後半に築造された青塚古墳は諏訪地方唯一の前方後円墳で墓主と思われる諏訪大社下社大祝の金刺氏は大きな勢力を持っていたと思われます。)に見られるように諏訪地方は独自の文化圏をもっていたようで、古代律令制の中でも短期間で吸収されましたが養老5年(721)に信濃国から諏方国として独立しています。中世になり諏訪大社の影響力が増すと対岸にある上社との権力争いが激化、戦国時代には上社側の諏訪氏が統一を果たしましたが武田家の諏訪侵攻により武田領となります。江戸時代には徳川方に組した諏訪氏が復権し高島藩を立藩、下諏訪町周辺も高島藩に属します。又、街道が整備され下諏訪宿が開かれると、中山道の難所の1つ和田峠を控えた甲州街道の分岐点として発展。中山道と甲州街道には大名の参勤交代で利用される他、諏訪大社への参拝者や、温泉への湯治者など多くの人達が宿場を訪れ大いに賑わったと伝えられています。
|