八幡宿(佐久市)概要: 八幡宿は慶長年間(1596〜1615年)から元和年間 (1615〜1624年)に整備された宿場町(周辺集落であった八幡・蓬田・桑山の3村が中山道沿いに集められ八幡宿を形成しました。)で中山道69次中24番目に位置しています。天保14年(1843)に編纂された「中山道宿村大概帳」によると宿場は本陣1軒(小松家)、脇本陣4軒(依田家・大坂屋など)、問屋2軒、旅籠3軒(天保14年)、と比較的小規模で隣の塩名田宿とは3キロ弱しか離れていない為、旅籠が少ない宿場町でしたが千曲川の西岸にあたり、川止めや背後に難所の1つである瓜生坂を控えていたこともあり脇本陣が4軒と多いのが特徴と言えます。幕末には皇女和宮の宿泊地としても知られ本陣食を担った小松家には下賜された品物などが伝えられています。現在でも交通量が多く建物の建て替えが進む中、本陣や脇本陣の門や問屋、宿場の地名にもなった延徳3年(1491)創建の八幡神社(旧本殿の高良社は国指定重要文化財、当社が地名の由来となっています。)が鎮座し歴史を感じさせてくれます。特に「八幡宿本陣跡」は貴重な事から平成9年(1997)に佐久市指定史跡(交通・通信施設)に指定されています。
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