芦田宿

  長野県:歴史・観光・見所中山道(信濃路)>芦田宿

概要・歴史・観光・見所
芦田宿(佐久市)概要: 芦田宿(長野県立科町)は慶長2年(1597)に開かれた宿場町で中山道69次中26番目に位置しています。中山道が本格的に整備されたのは江戸時代に入った慶長6年(1602)からであることから岩間忠助(芦田氏旧臣)・土屋右京左衛門(茂田井村)らによって逸早く芦田宿が成立していたか分かります。本陣兼問屋は芦田宿の開宿に尽力した土屋右京左衛門家が歴任し、名主兼問屋は岩間家、脇本陣は山浦家がその任を担いました。天保14年(1843)に編纂された「中山道宿村大概帳」によると宿場には本陣1軒(土屋家)、脇本陣2軒(山浦家・山浦家)、旅籠6軒が設けられ背後に難所である笠取峠を控えている割には脇本陣が2軒あるものの比較的小規模な宿場で人口も326人程度でした。

笠取峠は標高約900m、長野県北佐久郡立科町と長野県小県郡長和町との境にある峠で、中山道の宿場で見ると芦田宿と長久保宿長野県長和町)の間に位置します。名称は余りにも急坂だった事から大量の汗をかき、頂上付近になるとついつい頭に被っていた笠を取って汗を拭いた事に由来してます。芦田宿が過ぎて頂上に至る道中には慶長7年(1602)に中山道が整備された際、幕府から小諸藩長野県小諸市:藩庁−小諸城)に数百本の赤松の苗が下府され植樹された松並木が100本余り残され貴重な事から、名称「笠取峠の松並木」として昭和49年(1974)に長野県指定天然記念物に指定されています。

芦田宿本陣には宿場開設に尽力を尽くした土屋右京左衛門家が代々勤め、往時は客殿、主屋、問屋場、荷蔵、酒造蔵、長屋など多くの格式ある建物があり幕末の文久元年(1861)には皇女和宮が昼食に利用しています。現在も寛政12年(1800年)に改築された客殿(桁行5間、梁間11間、切妻、桟瓦葺)が残されていて長野県県宝に指定されています。本陣や旅籠だった金丸土屋旅館、味噌・醤油の蔵元である酢屋茂などの古い建物が点在しますが、全体的には新しく建て替えたものが多く当時の町並みは失われつつあります。又、清和天皇の第4皇子貞保親王の後裔とされる滋野氏縁の地でもあり芦田宿から程近い津金寺には滋野氏宝塔(3基)が建立され長野県の県宝に指定されています。

【 金丸土屋旅館 】−金丸土屋旅館は、中山道の宿場町である芦田宿に位置し、旅籠を前身とする老舗旅館です。案内板によると「 文化元年(1804年)頃より旅籠屋で、軒の西側に「津ちや」東側に「土屋」の看板を掲げる。今も旅館を営む金丸土屋旅館。2階の部分が表通りに少し出ている出張り造りで腕木に彫刻、煙だしを持つ大屋根など多くの特徴を持っている。」とあります。金丸土屋旅館は江戸時代後期の建物で、木造2階建て、切妻、桟瓦葺、平入、外壁は真壁造り白漆喰仕上げ、正面2階が1階から張り出した構造体により支えられる出桁造り、、2階正面両側には防火、延焼防止用の袖壁。内部の間取りは正面向かって右側は和室(8畳敷)が4室連なり(最奥が上段ノ間)、中央部は正面が板間で、その奥が和室(8畳敷)が3室、その隣に和室(8畳敷)2室、向かって左側が土間となっています(現在は和室と台所に改変・2階の屋根の形状や煙り出しがある事から、こちらも後年に改変されたと思われます)。当家は、芦田宿の本陣職を担った土屋家の分家筋で、建物は江戸時代後期の大型旅籠建築の遺構として貴重な存在です。

芦田宿(町屋・町並み):写真

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本陣
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津金寺
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