武重本家酒造(立科町茂田井)

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概要・歴史・観光・見所
武重本家酒造(茂田井宿)概要: 武重家は江戸時代前期に茂田井に土着した武重本家酒造・住宅旧家で明治元年(1868)より武重徳左衛門(武重家12代当主)が酒造業を創業しています。建物は中山道沿いに建っている東蔵、西蔵、門長屋、店が江戸時代後期に建てられ、酒造業が伸びるに従い敷地奥に増築し明治、大正、昭和初期に建てられた座敷や茶室、土蔵などが軒を連ねています。主屋は明治42年(1909)に建てられたもので、木造2階建、切妻、桟瓦葺、塗屋造り、建築面積236u。奥座敷は江戸時代後期に建てられたもので木造平屋建て、切妻、桟瓦葺き、建築面積93u、建替え前の古い建物です。離れは大正時代に建てられたもので、木造2階建、切妻、桟瓦葺、桁行5間半、梁間4間半、建築面積88u。武重本家酒造・住宅は江戸時代から大正時代にかけての町屋建築の遺構です。

茂田井宿の町並みの景観の重要な要素となり「国土の歴史的景観に寄与しているもの」との登録基準を満たしている事から平成12年(2000)に敷地内にある建物群、主屋(明治42年)・奥座敷(江戸時代後期)・文庫蔵(明治45年)・味噌蔵(明治45年)・東蔵(江戸時代後期)・門長屋(江戸時代後期)・店(江戸時代後期)・西蔵(江戸時代後期)・中門(明治42年)・井戸小屋(昭和初期)・屋敷神(昭和5年)・屋敷神鳥居(文政10年)・東塀(明治42年頃)・離れ座敷(大正時代)・茶室(大正時代)・深井戸水槽(大正時代)・離れ石垣塀(大正時代)・1号蔵(江戸時代末期)・2号蔵(明治時代中期)・3号蔵(明治時代後期)・4号蔵(大正6年)・5号蔵(大正11年)・武重本家酒造・住宅旧細工小屋(大正時代)・前殻ビツ(明治時代後期)・後殻ビツ(大正時代)・枯倉(昭和初期)・炭小屋(明治42年)・南蔵(昭和初期)・もみ蔵(昭和初期)・旧精米所(昭和初期)、30棟が国登録有形文化財に登録されています。又、大正14年(1925)には若山牧水が武重本家を訪れ酒を嗜んだとされ「若山牧水歌碑( よき酒と ひとのいふなる御園竹 けふ飲みつ よしと思えり )・( しらたまの 歯にしみとおる秋の夜の 酒はしずかに飲むべかりけり )・( ひとの世に たのしみ多し然れども 酒なしになにのたのしみ )」が建立されています。

長屋門を簡単に説明した動画

武重本家酒造:写真

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