奈良井宿(木曽路)・手塚家住宅

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手塚家住宅(上問屋資料館)

【 概 要 】−手塚家(長野県塩尻市奈良井)は奈良井宿の行政的な中心だった奈良井宿(木曽路)・手塚家住宅中町に位置し、慶長7年(1602)に中山道が開削され奈良井宿が宿場町として成立した時から、明治維新により街道制度や宿場制度が廃止になるまで問屋を務めた家柄で、江戸時代後期の天保年間(1830〜1844年)からは奈良井宿の庄屋の役職も兼任しました。 奈良井宿では上問屋と下問屋の2軒の問屋が置かれ、半月交代で人馬継立の業務を行い、当時の物資流通の要となっていました。庄屋とは地方三役の一つで奈良井宿の事実上の首長だった事から手塚家は木曽代官である山村家から派遣された役人との接触が多く発生し、通常の町屋建築とは異なる構造を持ち、明治13年(1880)6月26日には衰微した本陣に代わり明治天皇の御巡幸の際の御在所にも指定されています。

現在の手塚家住宅は天保3年(1832)の火災で焼失後の天保11年(1840)に再建されたもので、主屋の他、同規模の座敷棟が設けられているのが大きな特徴の1つで(主屋:桁行12.4m、梁間10.9m・座敷棟:桁行9.9m、梁間15.9m)、上記のように問屋と庄屋という宿場内の上役を歴任し、代官所から派遣された役人(武士)との接触が多い事から、格式の高い座敷棟が必然的に必要となり、奈良井宿の他の町屋建築には見られない構造となっています。正面の主屋には南端と北端に2つの玄関があり、南端は普通の町屋建築が見られる玄関で、奈良井宿(木曽路)・手塚家住宅内部に入ると通り土間が敷地背後に貫き家人が利用する室内に誘導され、北端の玄関は、格式の高いもので、役人(武士)が利用する会所や内玄関、座敷棟に誘導される動線となっています。別棟座敷は2列6室の構成で、南側の列は正面から6帖間、次の間、上段の間、北側の列は正面から新座敷、10帖間、10帖間とあり、特に上段の間は意匠に富んだ格式の高いもので、身分が高い人物のみ利用が許されていました。主屋2階は北半分は座敷2室、南半分が板間となり天井は竿縁天井となっています。手塚家住宅の敷地内には、江戸時代末期に建てられた土蔵(土蔵2階建、切妻、鉄板葺、桁行11.4m、梁間3.7m)があり、主屋、別棟座敷と共に平成19年(2007)に国指定重要文化財に指定されています。現在は上問屋史料館として整備され明治天皇が使用した茶器や諸道具(300点余り)、古文書(100点余り)、各種資料などが展示されています。

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