奈良井宿(木曽路)・二百地蔵

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奈良井宿(木曽路)・二百地蔵

【 概 要 】−二百地蔵(長野県塩尻市奈良井)は明治時代に奈良井宿(木曽路)・二百地蔵奈良井宿周辺の国道の開削や、鉄道敷設の際、その経路上や道幅の拡幅、作業場の確保などでその場所から撤去されるのが余儀なくされた石仏達を当地に集め祭ったものです。現在、奈良井宿の外側を通る国道19号線は昭和27年(1952)以前は長野県塩尻市と岐阜県恵那市の区間を指し、明治5年(1872)に宿駅制廃止後も中山道(木曽路)が基本となっていましたが明治13年(1880)の明治天皇巡幸の際には突貫工事で旧街道の整備が行われ、明治18年(1885)の内務省告示第6号「國道表」では中山道(木曽路)が国道7号「東京より神戸港に達する別路線」に指定されています。さらに、明治23年(1890)には奈良宿背後に控える鳥居峠に馬車が通れる新道が開削され、これらの一連の工事により、石仏の行き場を失い奈良井宿も東端である現在地に遷されたと思われます。一方、鉄道の方は明治42年(1909)12月1日に国有鉄道中央東線:塩尻駅から奈良井駅の延伸工事が完了し、翌、明治43年(1910)に藪原駅まで延伸している事から、前後の年には大規模な工事が行われたと思われます。

このような経緯から集められた石仏な為、製作年代や製作者が異なり、それぞれ個性ある表情、作風が見られます。石仏の題材も、地蔵を中心にして聖観音、千手観音、如意輪観音、不動明王、馬頭観音など様々で廿三夜塔などの石碑も境内に建立され正式には194躯の石仏があるそうです。特に著名な作者では無い様で何れも素朴で愛らしい表情をしています。境内の中央には奉祭施設として地蔵堂(木造平屋建、切妻、妻入、鉄板葺、桁行2間)が設けられています。周辺には奈良井宿下町の氏神である八幡宮や、旧中山道(木曽路)の杉並木などが残されています。

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