奈良井宿(木曽路)・鎮神社

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奈良井宿(木曽路)・鎮神社

【 概 要 】鎮神社(長野県塩尻市奈良井)は中山道(木曽路)の宿場町奈良井宿(木曽路)・鎮神社である奈良井宿の鎮守として信仰されてきました。鎮神社は平安時代末期から鎌倉時代初期にあたる寿永から文治年間(1182〜1189年)、当時の領主中原兼造が鳥居峠に勧請して創建されのが始まりとされます。中原兼造は当時の木曽谷の豪族で、源義賢が異母弟である源義朝との対立の中、甥である源義平に討たれ為、義賢の2男義仲(後の木曽義仲・源義仲)を秘密裏に引き取り育てたとも云われています。鎮神社はその後、鳥居峠に鎮座し続けていましたが、戦国時代に武田家の凋落から、織田家に転じた木曽義昌と、裏切り者を粛清するという名目で当地まで侵攻してきた武田勝頼との対立により天正10年(1582)に激しい戦いとなり、その兵火によって社殿が焼失し境内が荒廃しました。同年、織田家の甲斐・信濃侵攻により武田勝頼が自刃して武田家が滅びると、天正年中(1582〜1592年)に領主である奈良井義高は自らの居城である奈良井氏館の城下町である現在地に鎮神社を遷座し社殿を造営しました。元和4年(1618)、奈良井宿に流行り病が蔓延し、大きく世情が乱れると香取神宮(千葉県香取市:下総国一宮)から祭神である経津主命の分霊を勧請合祀し、病の平癒祈願を行うと、不思議の病が鎮まった事から「鎮神社」と呼ばれるようになっています。鎮神社は奈良井宿の西端、鳥居峠の上り口に境内を構える事から奈良井宿の住民だけでなく、旅人や商人も道中祈願を行い社運も隆盛しています。現在の鎮神社本殿は寛文4年(1664)に造営されたもので、 一間社流造、こけら葺、桁行1.9m、梁間1.5m、正面1間向拝付、外壁は漆塗、棟梁は田中庄三郎重房、奈良井宿(木曽路)・鎮神社江戸時代初期の神社本殿建築の遺構として貴重な事から昭和60年(1985)に塩尻市(旧楢川村)指定有形文化財に指定されています。境内は神域だった為、基本的には植物の伐採などが行われなかった為、杉やハリモミ(バラモミ)、欅などの古木、巨木が多く、面積2571uが名称「鎮神社社叢」として昭和61年(1986)に塩尻市(旧楢川村)指定天然記念物に指定されています。鎮神社の例祭は毎年8月11・12日の2日間(旧6月21・22日)、下町囃子、獅子屋台、上町囃子、御道具、神輿、中町囃子、神馬が奈良井宿の宿内を練り歩く年中行事で、慶安3年(1650)から古式を伝える貴重なものとして平成13年(2001)に塩尻市無形民俗文化財に指定されています。

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