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春原家住宅(東御市)概要: 春原家住宅は祢津街道沿いに位置する釜村田集落、現在の長野県東御市和に屋敷を構えている古民家です。
春原家の出自は判りませんが、武蔵七党の丹党の一派とも云われ、鎌倉時代に武蔵国入間郡須牟乃波良の荘園を領していた事から、地名に因み「春原」姓を掲げたとされます。
その後、武蔵国から信濃国に移り住むと、当地の国人領主だった海野氏に仕えていましたが、天文10年(1541)に海野平の戦いで海野棟綱は武田信虎に敗れ、上野国に落ち延びた為、主家を失っています。
当地が武田信玄の支配下に入ると信玄の二男である武田次郎信親が海野城に配され、海野氏の名跡を継ぐと、海野民部丞竜宝と名乗り、その家老として1千貫で春原若狭守隆在が抜擢され、弟である春原隆吉は甘利左衛門の同心に3百貫で召し抱えられています。
又、武田家に従った海野氏傍流の真田幸隆に仕えた一族もおり、真田家の家臣として功績を挙げたようです。
当、春原家は文献などが残っておらず詳細は不詳ですが、江戸時代初期には当地に土着していたとされ、代々東上田村の庄屋を勤めていた事から屋号として「庄屋」を掲げた家柄でした。
慶安、元禄の頃には上層農家だった事から、本来武家など身分が高い人物が認められていた苗字が許されていました。
春原家住宅の建築年は不詳ですが17世紀後半の元禄年間(1688〜1704年)頃に建てられたものと推定され、長野県内では最も古い年代の農家建築の1つとされます。
構造や工法、開口部も限られた最小限の広さしかなく、居室も間仕切りには建具などを使用せず壁を多用して閉鎖的、柱が1間間隔、軒が低いなどの特徴が見られます。
春原家住宅は木造平屋建て、寄棟(棟中央部に煙り出し付)、茅葺、平入、桁行き10間半(約19m)、梁間4間半(約8m)、外壁は真壁造り、土壁鏝押え。
建坪は40数坪あり当時の農家建築と比べるとかなりの大型で、床の間があるなど庄屋を担った上層農家として格式の高さも感じられます。
内部は東側6間分がダイドコと呼ばれる土間空間で、そこには厩が備わっており、土間が建物の全体の6割を占めています。
土間に接する床上部は茶の間(チャノマ)、その北側にはネドコ・キタノマと西側にはザシキ・オヘヤと2室ずつ部屋が配されています。
春原家住宅は江戸時代中期に建てられた現存する数少ない大型上層農家建築の遺構として大変貴重な存在で昭和48年(1973)に国指定重要文化財に指定されています。
【 参考:文献等 】
・ 現地案内板-東御市教育委員会
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