旅籠(歴史民俗資料館)概要: 海野宿歴史民俗資料館は江戸時代から明治時代に旅籠や養蚕業を営んだ旧関家住宅を整備したもので長野県小県町東部町大字本海野に位置しています(海野宿の中央より東寄り)。関家は古くから北国街道海野宿の旅籠を営んでいることもあり2階には当時旅人達が利用した大部屋がそのままの姿で残っています。明治時代以降、宿場制度が廃止されると養蚕業を営むようになり煙出し用の小屋根や桑屋などが改修増築され、敷地背後には養蚕関係の建物が数多く建てられました。
旧関家住宅は江戸時代後期の寛政年間(1789〜1801年)に海野宿の旅籠として建てられたもので、木造2階建て、切妻、桟瓦葺き、平入、外壁は真壁造り土壁鏝押え、2階正面外壁が1階から持ち出した構造材で支える出桁造り、2階正面両脇には防火、延焼防止用の袖ウダツ、2階正面には出格子、1階正面には格子戸がはめ込まれています。2階の出格子は海野格子と呼ばれる格子戸で、一般的なものと異なり、縦の桟が長が2本、短が2本ずつ交互に割り付けられているのが特徴となっています。
又、江戸時代の町屋建築である事から軒の高さが低く抑えられ、海野宿で明治時代以降に制限が解除された町屋建築と比べると大きく高さが異なります。特に海野宿では明治時代以降養蚕業が盛んになり、2階や屋根裏を養蚕の作業場として改変し、中には3階部分を増築する町家建築が多くみられる中、旧関家住宅は旅籠建築当時の姿を良く留めています。
内部は1階が「馬屋」、「土間」、「台所」、「囲炉裏」、「店」、「表座敷」、「中座敷」、「奥座敷」、「中の間」、「裏座敷」とあり2階の「壱の間」、「弐の間」、「参の間」が旅籠の相部屋として利用されていました。敷地内には主屋の他、土蔵、養蚕小屋、物置、便所、風呂場、味噌部屋、井戸などの付属舎も良好に残され、海野宿にある伝統的な町家、旅籠建築を現在に伝える貴重な遺構となっています。現在は保存改修され「海野宿歴史民俗資料館」として一般公開され、海野宿関係の資料が多数展示されています。
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