一福処濱屋(長和町・長久保宿)概要: 一福処濱屋の建物は明治初期に旅籠として建てられたもので木造2階建、切妻、平入、桟瓦葺き、外壁は正面真壁造、両脇は大壁造、漆喰鏝仕上げ、桁行9間、延べ床面積400u、外壁面から腕木を前に出しその上に桁を流し2階正面外壁を支える出桁造の建物で2階外壁両側には意匠に富んだ袖壁が設えられています(袖壁は延焼防止や、類焼防止にはもはや機能的には役に立たない、見た目優先の意匠となっています)。内部は向かって左側が通り庭となり建物奥まで土間が続いています。
明治維新後に建てられた為、江戸時代に制限された屋根の高さも自由に設定され、同じく長久保宿の町屋建築で江戸時代初期に建てられた竹内家住宅(釜鳴屋)と比べると一福処濱屋の方が軒がかなり高く大きく異なっています。明治維新後に宿場制度が廃止され、新たに主要道が開削されると急速に長久保宿を利用する人が減少し結局開業には至りませんでしたが、明治時代初期の大型旅籠建築として貴重な存在です。その後は住宅として長く利用されていましたが平成12年(2000)に所有者から寄付された事を受けで改修され、現在は「長久保宿歴史資料館」として長久保宿関係の資料を展示して内部が一般公開されています。
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