本陣(長井家:長和町和田)

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概要・歴史・観光・見所
本陣(長和町・和田宿)概要: 和田宿の本陣を歴任した長井家は、古くは当地の在郷武士で、上野家、上原家、遠藤家、羽田家、境沢家と共に和田六騎と呼ばれていました。戦国時代に大井氏の一族が当地を支配するようになると、大井氏に属し、和田城主となった大井信定の娘婿となっています。天文22年(1553)に武田信玄の侵攻により和田城が落城し大井信定が討死すると、武田家に仕え、天文10年(1582)に武田家が滅ぶと上田城の城主となった真田昌幸に従っています。江戸時代に入り中山道が開削され和田宿が開宿すると本陣、問屋、名主に任命され、江戸時代を通して村役人の重責を担いました。文化6年9月22日(西暦:1809年10月30日)には第七次測量を行った伊能忠敬の宿所として利用しています。

和田宿本陣は文久元年(1861)に火災により焼失しましたが数ヶ月後に皇女和宮が宿泊地とすることが決定していた為急遽再建されました。明治維新後に宿場制度が廃止となり本陣の役割がなくなると座敷棟は龍願寺(丸子町)へ御入門は向陽院(丸子町)へ移築され居室棟は役場や農協事務所として使用されました。昭和59年(1989)に旧和田村役場庁舎の移転にともない解体される予定でしたが、中山道の宿場町の中で数少ない本陣の遺構の1つとして評価され平成元年(1989)に再建、国指定史跡に指定されています。主屋(居室棟)は木造2階建、切妻、板葺き石置き屋根、平入、桁行12間、梁間13間、外壁は真壁造り白漆喰仕上げ、式台付き玄関、間取りは14室(2階は2室)、135坪(444u)、軒高さ5.3m、棟高さ8.8m。

本陣:写真

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