中山道・木曽路・奈良井宿

  長野県:歴史・観光・見所(ホーム)中山道・木曽路・宿場町>奈良井宿
中山道・木曽路・奈良井宿
【 概 要 】奈良井宿(長野県塩尻市奈良井)は大正4年(1915に刊行された「西筑摩郡誌」によると「天文元年(1532年)木曽義在、奈良井に専念寺を建つ、同2年義在、木曽に宿駅を定む」と記載されている事から、これを信じれば天文2年(1533)に当時、木曽谷周辺を支配した木曽義在(木曽義仲から17代後裔)により奈良井宿が整備された事になります。永禄11年(1568)には武田信玄が木曽路の宿場町に「伝馬七疋、異儀なくこれ を出すべし、海蔵寺へ進められるものなり」との覚書が発給され、馬一疋の口付銭として贄川宿より奈良井宿12文、奈良井宿から藪原宿12文と定められている事から戦国時代には木曽路の伝馬制度が確立していた事が窺えます。天正年間(1573〜1592年)に木曽氏の一族と思われる(諸説有り)奈良井義高が居城である奈良井城を築くと、城下町として整備され、鎮守である鎮神社を現在地に遷座し、鬼門鎮守として八幡宮を創建、天正10年(1582)には菩提寺として大安和尚を招いて大宝寺を創建しています。慶長7年(1602)に幕府により正式に中山道(木曽路)が開削されると中山道69次中34番目の宿場町として指定されています。

奈良井宿の背後には難所として知られる鳥居峠を控え、木曽地方の特産の木材を使用した職人が数多く住した事から、奈良井宿は木曽路11宿の中で最大規模に発展し「奈良井千軒」との異名がある程に賑いました。しかし、特別に旅籠が多かった訳では無かった為、奈良井五ヶ寺と呼ばれた浄龍寺、長泉寺、大宝寺、法然寺、専念寺などが受け入れたとされます。中でも慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いの際には法然寺が徳川秀忠が本陣として利用し、3代将軍徳川家光より宇治採茶使が制度化されてからは、御茶壷道中の定宿として長泉寺が指定され、専念寺では本願寺の門跡や関係者等が利用する御殿(座敷)が残されています。奈良井宿は大きく、上町、中町、下町に分かれ中町は行政、経済の中心として本陣他、脇本陣、問屋などが集められ、上町、中町の境には「鍵の手」と呼ばれる直角を2度繰り返す枡形が設置され、山沿いには上記の寺院や鎮守となる鎮神社や若宮様、神明社、八幡宮が境内を構えています。江戸時代後期の天保14年(1843)に記録された「中山道宿村大概帳」によると奈良井宿には本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠5軒、問屋2軒、家屋409軒、人口2155人だった事が判ります。明治時代以降、奈良井宿は衰微しましたが、大規模な近代化が図られなかった事から現在でも良好な町屋建築が軒を連ねる町並みが残され、南北約1km、東西約200m、面積17.6ヘクタールが昭和53年(1878)に国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。

奈良井宿:見所

鎮神社
□−鎮神社

鎮神社は奈良井宿の鎮守で、平安時代後期に中原兼造によって勧請されました。鳥居峠に鎮座していましたが、戦国時代の兵火により焼失し、現在地に遷座しました。本殿は江戸時代初期に造営されたもので、塩尻市指定文化財。
八幡宮
□−八幡宮

八幡宮は奈良井宿の下町の氏神として信仰されてきた神社で戦国時代の天正年間に創建されてます。奈良井宿(奈良井館)から見ると北東の方角に位置する事から鬼門鎮護の守護神とされ、領主である奈良井氏からも信仰の対象となりました。
浄龍寺
□−浄龍寺

浄龍寺は浄土真宗真宗大谷派の寺院で、本尊、阿弥陀如来像を安置しています。本堂は江戸時代後期の天保8年の火災後に嘉永5年に再建された本棟造の建物です。彫刻家の石井鶴三の縁の寺院でもあり、当寺で藤村木彫像を制作しています。
長泉寺
□−長泉寺

長泉寺は南北朝時代に元章希本により創建された古寺で、戦国時代に再興された際に曹洞宗の寺院となっています。江戸時代に入ると、御茶壷道中の宿泊所に指定され、毎年茶壷は必ず奈良井宿長泉寺に宿泊してたと記録されています。
大宝寺
□−大宝寺

大宝寺は戦国時代の天正10年(1582)に領主である奈良井義高が菩提寺として創建された寺院です。庭園は江戸時代中期の享保年間(1716〜1716年)に作庭された名園で、境内にはマリア地蔵尊や奈良井義高の墓碑などが建立されています。
専念寺
□−専念寺

専念寺は戦国時代の天文元年(1532)に領主である木曽義在によって創建された浄土真宗真宗大谷派の寺院です。境内に至る参道の途中には、うなり声を上げる「うなり石」があり、それを押える為に釘を打ち付けたと伝えられています。
手塚家住宅
□−手塚家住宅

手塚家は奈良井宿の上問屋、庄屋などを歴任した名家として知られ明治13年(1880)の明治天皇巡幸の際には行在所となっています。現在の主屋は江戸時代後期の天保11年(1840)の建てられたもので、国指定重要文化財に指定されています。
中村邸
□−中村邸

中村家は塗櫛の創始者中村恵吉氏の分家にあたる家柄で、代々櫛問屋を営んでいました。現在の主屋は江戸時代後期の天保年間に建てられたもので、奈良井宿に残される典型的な町屋建築の遺構として塩尻市指定文化財に指定されています。
徳利屋
□−徳利屋

原家は屋号「徳利屋」を掲げる奈良井宿の有力商人で、木曽代官山村家の御用商人を勤め脇本陣格とされます。昭和初期まで旅館業を営み島崎藤村や正岡子規なども宿泊しています。主屋や天保年間に建てられたもので塩尻市指定文化財。
二百地蔵
□−二百地蔵

二百地蔵には製作年代や、作者などばらばらで、当初は奈良井宿周辺各地にそれぞれ安置されていましたが、明治時代に国道の開削や、鉄道の開通の工事に伴い、行き場の失った、観音像や地蔵を現在地である当地に一箇所に集められました。
杉並木
□−杉並木

二百地蔵や八幡宮(奈良井宿の下町の氏神)の境内を過ぎると、中山道の街道沿いには推定樹齢数百年の杉並木が残され、胸高直径50センチ以上の杉、17本を数えます。旧中山道の景観が残される数少ない遺構として貴重な存在です。
水場
□−水場

奈良井宿には高札場(宮の沢)や鍵の手、中町(横水)、下町、下城、池の沢など6箇所に水場が設置されています。水場は生活用水や火災時の延焼を防ぐ為に利用し、何れも現役で水神が祭られ整備が行き届いています。
荒沢不動尊
□−荒沢不動尊

荒沢不動尊は上町と中町の境に位置する鍵の手の水場の近くに境内を構えています。不動尊は水に関係が深い事から、水場の守護神として勧請されたと思われます。小規模ですが奈良井宿が住む住民の信仰の一端を見る事が出来ます。

木曽路:宿場町

贄川宿
右
木曽平沢
右
奈良井宿
右
藪原宿
右
宮ノ越宿
右
福島宿
右
上松宿
右
須原宿
右
野尻宿
右
三留野宿
右
妻籠宿
右
大妻籠
右
馬籠宿
※ このサイト(中山道・木曽路・宿場町)は「郷土資料辞典」、「日本の城下町」、「観光パンフレット」、「観光地案内板」、「関係HP」等を参考に編纂しています。相談や質問は大変失礼ですが、メールのみとさせていただきます。 回答によって不都合や不利益をこうむっても当サイトは一切責任を負いません。又、回答を直接的(当サイトの名前を使って)に交渉や請求の手段とすることはご遠慮くださるようお願い申し上げます。 予告なしに追加、書き替えを行いますのでご了承ください。尚、写真や文章のコピーは遠慮してください。御理解の程よろしくお願いします。