英岩寺(飯山市)概要: 長峰山英岩寺の創建は不詳ですが永仁年間(1293〜1299年)、 天台宗の修験道場として開かれたのが始まりと伝えられ飯山市街地で最古の寺院です。当初は江岸寺と称し、初代飯山城主泉重信の菩提寺になると泉家に庇護され寺運も隆盛したと思われます。泉家は建保元年(1213)、当時の当主で鎌倉幕府御家人の泉親衡が幕府内の政争に敗れ、当地に土着したのが始まりとされ、以来、数百年にわたり泉家が戸地域を支配しました。上杉謙信が死去するまで飯山城の城主として影響力がありましたが、上杉家の家督争いである御館の乱の際、上杉景勝と武田勝頼の同盟により飯山城が武田方となり、泉家も没落したと思われます。
江岸寺は庇護者を失い衰微しましたが、文禄4年(1595)、三嶋山高源院(飯山市大字豊田)七世通庵寿貫和尚によって中興され寺号が創建時の江岸寺から栄巌寺へと改称し、さらに安永年間(1772〜1780年)に英岩寺に改称しています。
江戸時代に入ると歴代飯山藩主からも庇護され佐久間安政から寺領を安堵されています。
現在の英岩寺本堂は安政3年(1856)に再建された古建築で入母屋、鉄板葺、平入、桁行8間、正面向1間拝付、境内には地蔵堂(火防、火難に御利益)、荒神堂(かまど神、難病を救うとされます。)、観音堂(西国三十三観音霊場の本尊を模した観音像を安置。)、神農堂(医薬、濃厚に御利益がある神農大士を祀る。)など諸堂が並び墓地の奥には上杉謙信の家臣小島弥太郎(幼少の頃から謙信の側近で強力無双の豪傑とされ「鬼小島」の異名があります)の墓があります。
小島弥太郎は永禄4年(1561)に川中島の戦いで負傷し、上杉家の居城である春日城(新潟県上越市)に帰城の途中でしたが深手で足手まといになるのを嫌いこの地で自決したと伝えられています(戦死の地が新潟県長岡市栃尾大野町の天神山という説もあります)。飯山七福神巡り:福禄寿。宗派:曹洞宗。
【 参考:文献等 】
・ 現地案内板-飯山市
・ 現地案内板
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