大聖寺(飯山市)概要: 韶陽山大聖寺は長野県飯山市大字飯山神明町に境内を構えている曹洞宗の寺院です。大聖寺の創建は元亀元年(1570)、今井内記(木曽義仲家臣今井兼平の子孫)が父親(戒名:永林院殿傑山道栄大居士)の菩提を弔う為、天正寺(下水内郡豊田村大字永江)2世天桂宗竺を招いての開いたのが始まりと伝えられています。
当初、常葉山前松寺と号し飯笠山の北の麓にありましたが天正年間(1573〜1593年)に有尾に移り、慶長15年(1610)に堀丹後守直寄が4万石で飯山藩主になると帰依されました。元和2年(1616)に直寄により現在地に移され韶陽山大聖寺と改称しています。
同年、直寄は長岡藩に移封となり代わって佐久間安政(織田家の武将・佐久間盛次の次男)が大坂の陣の功により3万2千石で飯山藩に入封し大聖寺を菩提寺としました。
大聖寺は藩主佐久間家の菩提寺として寺領50石を寄進されるなど庇護され藩内の曹洞宗の中で最も石高の高い寺院となりました。明治初年には正受庵再興のために飯山を訪れた山岡鉄舟(旧幕臣、明治時代の政治家、思想家、幕末の三舟の1人)は大聖寺に滞在し本堂の襖8枚に雄渾な筆跡を残しています。
境内にある黄金石地蔵尊は弘化4年(1847)に起こった善光寺地震(飯山藩の被害:家屋全壊2453棟、焼失家屋589軒、死者1515名)の供養地蔵で道核和尚が建立したもので白衣の老人の伝承が残っています。飯山七福神巡り:毘沙門天。山号:韶陽山。宗派:曹洞宗。
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