健御名方富命彦神別神社

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概要・歴史・観光・見所
健御名方富命彦神別神社(飯山市)概要: 健御名方富命彦神別神社は長野県飯山市豊田伊豆木原に鎮座している神社です。健御名方富命彦神別神社の創建は不詳ですが伝承によると白雉3年(652)に勧請されたのが始まりと伝えられています。一方、健御名方富命彦神別神社の境内背後にある山頂には巨石(影向石・鎮座石)があり古代人の素朴な自然信仰や自然崇拝が発展したとも考えられています。健御名方富命彦神別神社は格式が高く崇神天皇の御代に神戸を附せられ、持統天皇5年(691)に水内神として遺使が当社を訪れ、大宝3年(703)に官幣に預り、貞観9年(867)に正二位に列し、平安時代に編纂された延喜式神名帳に記載されている信濃国水内郡鎮座している式内名神大社の論社として古くから広く信仰されました。

歴代領主からも崇敬され大同年間(806〜810年)には県主田村義仁の祈願所となり、中世は一帯を支配した泉家から庇護されます。江戸時代に入ると飯山藩(藩庁・飯山城)の歴代藩主の崇敬社となり社運も隆盛し寛政元年(1789)には京都吉田家より式内名神大社の社号を賜っています。古くから神仏習合し江戸時代までは「諏訪大明神」と称していましたが、明治時代初頭に発令された神仏分離令を経て、明治6年(1873)に郷社、明治13年(1880)に県社に列し、明治39年(1906)に神饌幣帛料供進神社指定されています。

健御名方富命彦神別神社の本殿背後にある「五束の伊勢社」は江戸時代の伊勢講の名残で81基の石祠群で構成されている貴重なもので平成10年(1998)に飯山市指定有形民俗文化財に指定されています。参道脇の覆屋内部に建立する末社若宮八幡神社本殿は室町時代中期に建てられた建物で一間社流造、向拝や舟肘木、懸魚、破風など当時の神社本殿建築の形式をよく留めている遺構として貴重な事から昭和27年(1952)に国指定重要文化財に指定されています。その他にも鉄製鰐口(上杉家家臣である岩井信能が寄進:国重要美術品)、薙鎌5体(諏訪信仰特有の呪具:飯山市有形文化財)、青銅製懸額(飯山藩の藩主である松平忠親が寄進:飯山市有形文化財)など多くの社宝を所持し、太々神楽(5月連休初めの祈年祭・9月23日の例大祭:室町時代以前から・長野県無形民俗文化財)や五束の御柱行事(寛政12年:1800年に当時の神主である高橋義安が諏方大祝から祭式を伝授:飯山市無形民俗文化財)など伝統神事も高く評価されています。

健御名方富命彦神別神社本殿は寛文12年年(1672)に造営されたもので、一間社流造、こけら葺き、桁行196cm、梁間168cm、棟梁:長左衛門・惣左衛門。付属の鰐口は文禄3年(1594)に上杉景勝の家臣で飯山城の城代として当地に赴任した岩井信能によって奉納されたもので、直径30cm、重さ9.6s。本殿、鰐口は大変貴重な事から昭和23年(1948)に国指定重要美術品に指定されています。健御名方富命彦神別神社拝殿は木造平屋建て、入母屋、鉄板葺き、平入、桁行5間、張間4間、正面1間向拝付き、外壁は柱のみの吹き放し。祭神:健御名方富命。配祀:庭津女命、知奴命、沙南豆良姫命、麻背命、八須良雄命、武彦根命。

健御名方富命彦神別神社:社殿・境内・写真

健御名方富命彦神別神社正面にある大鳥居
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健御名方富命彦神別神社参道両側に建立されている狛犬 健御名方富命彦神別神社参道にある石段 健御名方富命彦神別神社の拝殿 健御名方富命彦神別神社の本殿
健御名方富命彦神別神社の本殿から見た拝殿と幣殿 健御名方富命彦神別神社の境内に建立されている若宮八幡神社 健御名方富命彦神別神社の境内にある五束の伊勢社 健御名方富命彦神別神社の境内に建立されている五束の伊勢社の石祠群


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