佐久間安政:概要

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概要・歴史・観光・見所
佐久間安政(飯笠山神社)

【 概 要 】−佐久間安政は弘治元年(1555)、佐久間盛次と柴田勝家の妹との子供として生まれました。その後、畠山家の家臣だった保田知宗の婿養子となり保田姓を名乗りましたが、元亀4年(1573)畠山秋高が遊佐信教に討たれると反発した保田知宗は天正2年(1574)は織田信長に下った為、安政もそれに従ったと思われます。天正11年(1583)に発生した賤ヶ岳の戦いで、知宗は柴田勝家の家臣で安政の兄である佐久間盛政隊に従軍したものの討死、勝家も北庄城に撤退した事から織田信雄を頼り保田領に帰還したようです。その後も小牧・長久手の戦いでは徳川家康・織田信雄連合軍、天正18年(1590)に発生した小田原の役では小田原北条氏方に与して戦った為、次第に没落していきました。

その後、安政は佐久間姓に復し豊臣秀吉に従った蒲生氏郷に仕えるようになり、文禄4年(1595)に氏郷が死去すると秀吉直参の家臣となり近江国高嶋郡(現滋賀県高島市)等7千石が与えられています。慶長5年(1600)に発生した関ヶ原の戦いでは徳川方として行動した事から8千石が加増され1万5千石の諸侯に列し、慶長12年(1607)にさらに5千石が加増され2万石となっています。元和元年(1615)に発生した大坂の陣で功を挙げた事から1万石加増され3万石で飯山藩に移封となり、元和3年(1617)には2代将軍徳川秀忠の御伽衆に任ぜられています。寛永4年(1627)死去、戒名:徳翁院殿功岸玄忠大居士。

佐久間安政の飯山藩時代は元和5年(1619)頃から領内の検地を行い、元和9年(1623)には大病を患い上洛出来ない旨を南禅寺金地院以心崇伝に伝え、代わりに佐久間勝之が上洛し崇伝を訪ねています。寛永3年(1626)にはには水内郡飯山・水澤両村の境堺を決定、同年には3代将軍徳川家光の上洛の為、江戸の橋の警護を行っています。

佐久間安政が飯山城に入ると、その城下には佐久間家縁の寺院を積極的に召喚し、元和2年(1616)には本光寺(神明町:日蓮宗)、常福寺(愛宕町:曹洞宗)、元和6年(1620)には称念寺(奈良沢:浄土真宗)、光蓮寺(愛宕町:浄土真宗)が寺地を与えられています(その他にも西敬寺と蓮証寺が移転してきたとされます)。又、元々あった大聖寺佐久間家の菩提寺に定め、安政の叔父である佐久間安宗が開基したという慶宗寺、有力寺院だった英岩寺や真宗寺にも寺領を安堵しています。飯山城の北方鎮護の守護神である飯笠山神社も篤く崇敬し正保3年(1646)には本殿を再建しています。

飯笠山神社:写真
佐久間安政と縁がある飯笠山神社 佐久間安政と縁がある飯笠山神社 佐久間安政と縁がある飯笠山神社 佐久間安政と縁がある飯笠山神社
飯山城:写真
佐久間安政と縁がある飯山城 佐久間安政と縁がある飯山城 佐久間安政と縁がある飯山城 佐久間安政と縁がある飯山城
本光寺:写真
佐久間安政と縁がある本光寺 佐久間安政と縁がある本光寺 佐久間安政と縁がある本光寺 佐久間安政と縁がある本光寺
常福寺:写真
佐久間安政と縁がある常福寺 佐久間安政と縁がある常福寺 佐久間安政と縁がある常福寺 佐久間安政と縁がある常福寺
称念寺:写真
佐久間安政と縁がある称念寺 佐久間安政と縁がある称念寺 佐久間安政と縁がある称念寺 佐久間安政と縁がある称念寺
西敬寺:写真
佐久間安政と縁がある西敬寺 佐久間安政と縁がある西敬寺 佐久間安政と縁がある西敬寺 佐久間安政と縁がある西敬寺
大聖寺:写真
佐久間安政と縁がある大聖寺 佐久間安政と縁がある大聖寺 佐久間安政と縁がある大聖寺 佐久間安政と縁がある大聖寺
英岩寺:写真
佐久間安政と縁がある英岩寺 佐久間安政と縁がある英岩寺 佐久間安政と縁がある英岩寺 佐久間安政と縁がある英岩寺



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