飯山市: 忠恩寺

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概要・歴史・観光・見所
忠恩寺(飯山市)概要: 忠恩寺の創建は永禄2年(1559)、長沼城(※1)の城主島津淡路守(※2)の招きで貞誉秋応が開山したのが始まりと伝えられています。慶長6年(1601)に現在地に移転すると歴代飯山藩(藩庁・飯山城)の藩主に庇護され、特に菩提寺とした松平氏と本多氏が帰依し松平忠偵は寺領16石を、享保15年(1730)には本多豊後守は供養米50俵を寄進しています。境内には本堂、庫裏、山門、鐘楼、地蔵などの他に歴代松平氏と本多氏の墓所があります。現在の本堂は享保12年(1727)の火災で焼失後の享保18年(1733)に再建されたもので寄棟、銅板葺、平入、桁行9間、正面1間唐破風向拝付、外壁は真壁造、白漆喰仕上げ、外陣天井は八方睨みの龍が描かれています。地蔵堂は入母屋、銅板葺(撮影時は鉄板葺)、桁行4間、正面唐破風向拝付。本尊である黒本尊阿弥陀如来像(※3)は本多廣孝が徳川家康から拝領した秘仏で8月15日のみ御開帳されます。飯山七福神巡り:布袋尊。宗派:浄土宗。本尊:黒本尊阿弥陀如来像。※現在、堂宇が改修された為、鐘楼 山門は銅板葺き、地蔵堂は銅板葺き、欅床張りになっています。

補足
(※1)長沼城−所在地:長野市穂保。長く島津家の居城でしたが武田家の侵攻後は武田家家臣が城代を歴任。江戸時代に入ると長沼藩の藩庁が置かれた。元禄元年に長沼藩が廃藩になると廃城。千曲川を利用した平城。
(※2)島津家−有名な薩摩国島津家の支族。当地域の地頭職を歴任。戦国時代は国人領主化した。
(※3)黒本尊阿弥陀如来像−室町時代後期作、像高78cm、別称:笑い阿弥陀、飯山市指定文化財

忠恩寺:写真

忠恩寺
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忠恩寺 忠恩寺 忠恩寺 忠恩寺
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