飯山市: 西敬寺

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概要・歴史・観光・見所
西敬寺(飯山市)概要: 倉科片雄山報恩院西敬寺は長野県飯山市大字飯山に境内を構えている浄土真宗大谷派の寺院です。西敬寺の創建は慶長7年(1255)、釈善巧が開山したのが始まりと伝えられています。釈善巧は親鸞の弟子の1人で下総(現在の千葉県)出身で岩倉刑部親経と称していましたが親鸞に感化され弟子となりました。西敬寺は当初、川中島倉科にありましたが川中島の合戦の兵火により焼失し永禄年間(1558〜1570年)に中野牛出に移り、その後、飯山藩主佐久間安政から飯山町深沢に寺地を与えられ、寛文12年(1672)に現在地に移っています。

現在の西敬寺本堂は2度の火災後の安永9年(1780)に再建されたもので寄棟(元入母屋)、金属板葺き、平入、正面3間向拝付、同時期に建てられたと言われる山門(切妻、茅葺、薬医門)や鐘楼(入母屋、鉄板葺)など当時の雰囲気を残しています。古くから武田信玄の縁の寺と言われ、寺宝である木造聖徳太子立像((平安時代後期に彫刻、像高90.5cm、桧材、一木造、素地)は親鸞が善光寺参りの際弟子になった釈善巧に与え、戦国時代には信玄の身代わりになって助けたという伝説が残っているもので昭和54年(1979)に長野県指定県宝に指定されています。又、小仏は上杉謙信が川中島の戦いで戦場から離脱する際、綱きりの渡しを案内した地元住民が授けられたものを奉納されたと伝えられています。山号:倉科片雄山。院号:報恩院。宗派:真宗大谷派。本尊:阿弥陀如来。

【 参考:文献等 】
・ 現地案内板

西敬寺:写真

西敬寺
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