鎮神社

  長野県:歴史・観光・見所奈良井宿:歴史・観光・見所>鎮神社(塩尻市)

概要・歴史・観光・見所
鎮神社(奈良井宿)概要: 奈良井宿の鎮守は鎮神社で、町並みの西端の鳥居峠の上り口に鎮座している神社です。鎮神社(奈良井宿)創建は12世紀後期に当時の木曽谷の実力者で木曽義仲を幼少期から青年期に至るまで密かに匿ったとされる中原兼造が鳥居峠に建立したそうです。中原兼造は当時の木曽谷の豪族で、源義賢が異母弟である源義朝との対立の中、甥である源義平に討たれ為、義賢の2男義仲(後の木曽義仲・源義仲)を秘密裏に引き取り育てたとも云われています。鎮神社はその後、鳥居峠に鎮座し続けていましたが、戦国時代の天正10年(1582)、武田家の一族衆として重責を担っていた木曽義昌が高天神城の戦いの敗北と、織田信長の甲斐、信濃侵攻を見て武田家を見限り織田家と盟約を結びました。これに激怒した武田勝頼は木曽谷に兵を差し向けた事から鳥居峠で大規模な戦となり、奈良井宿並び鎮神社は大きな被害を受けました。鳥居峠の戦いは義昌が守り切り、木曽家の一族(所説有り)で奈良井城の城主である奈良井義高が鎮神社を現在地である奈良井宿の西端に遷座し社殿の再建と境内の整備を行いました。

天正18年(1590)に木曽氏が木曽谷を去ると、庇護者を失いますが、引き続き奈良井宿の鎮守として信仰が続きました。江戸時代に入った元和4年(1618)、奈良井宿で「すくみ」と呼ばれる疫病が流行り多くの住民が苦境に立たされると、疫病を鎮める為に卜部朝臣兼英卿に相談したところ、下総国一宮である香取神宮(千葉県香取市)の経津主命を信仰するようにとの御告げがあり、それに従い経津主命を祭り、「鎮神社」と呼ばれるようになりました(鎮神社の以前の社号や祭神は不詳)。鳥居峠の上り口に境内を構える事から奈良井宿の住民だけでなく、旅人や商人も道中祈願を行い社運も隆盛しています。

鎮神社の本殿は江戸時代初期の寛文4年(1664)に棟梁田中庄三郎重房が手掛けた建物で、一間社流造、こけら葺、桁行1.9m、梁間1.5m、正面1間向拝付、外壁は漆塗、江戸時代初期の神社本殿建築の遺構として貴重な事から昭和60年(1985)に塩尻市指定有形文化財に指定されています。尚、田中庄三郎重房は同じ木曽路の宿場町である須原宿(長野県木曽郡大桑村)定勝寺の山門(万治4年:1661年建築、四脚門、切妻、桧皮葺、国指定重要文化財)も手掛けた名工としても知られています。境内は神域だった為、基本的には植物の伐採などが行われなかった為、杉やハリモミ(バラモミ)、欅などの古木、巨木が多く、面積2571uが名称「鎮神社社叢」として昭和61年(1986)に塩尻市(旧楢川村)指定天然記念物に指定されています。

鎮神社の例祭は毎年8月11・12日の2日間(旧6月21・22日)、下町囃子、獅子屋台、上町囃子、御道具、神輿、中町囃子、神馬が奈良井宿の宿内を練り歩く年中行事で、慶安3年(1650)から古式を伝える貴重なものとして平成13年(2001)に塩尻市無形民俗文化財に指定されています。祭神は現在も変わらず経津主命で例年8月12日に例祭が行われます。赤い鳥居が街道沿いに建ち正面に杉の大樹があります。その後ろに拝殿と思われる朱色の建物があり、その奥の一段高いところに本殿があります。境内はあまり広くはありませんが不思議と雰囲気のある空間です。駐車場から入ると向かって左側にある為、観光客もあまり来ないようですが、奈良井宿の歴史を感じるには良い所だと思います。

鎮神社:写真

鎮神社(奈良井宿)
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