小諸宿本陣問屋

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概要・歴史・観光・見所
小諸宿本陣問屋概要: 小諸宿本陣は江戸時代後期の18世紀末から19世紀初期に建てられたもので、北国街道小諸宿で問屋を営んでいた上田家がその任にあたっていました。北国街道は北陸や信州北部の大名が参勤交代の経路として利用していた為、大名など身分が高い人物しか使用出来ない本陣職には宿場内の実力者が任命されていました。明治時代以降、街道制度が廃止になると本陣の経営は著しく衰退し、相続の問題や近代化などにより、広大な屋敷を維持する事が出来ず多くが失われる中、小諸宿本陣は旧形態が残されている大変貴重な遺構です。明治時代中期に上田家が当地を離れると田村家が所有し、平成5年(1993)に田村家が小諸市に譲渡しています。

現在の小諸宿本陣(問屋の部)建物は江戸時代後期に再建されたもので、木造2階建て、切妻、桟瓦葺、妻入、2階正面外壁が張出した出桁造、外壁は真壁造、白漆喰仕上げ、1階正面は格子戸、間口は8間で部屋が2列になる規模になっています。2階妻面には看板屋根が大きく張り出し、出格子の意匠や手摺、西に隣接する薬医門(表門:切妻、桟瓦葺、本柱2本、控え柱2本、計4本の柱で屋根を支えています。)などが当時の格式が偲ばれます。本陣は大名、公家など身分が高い人物が宿泊や休息で利用した施設だった事から小諸宿本陣でも間口2間の式台付きの玄関や上段の間、身分の高い人物しか出入り出来ない表門など格式のある造りになっていました。

旧小諸宿本陣は江戸時代に建てられた数少ない本陣兼問屋場建築の遺構として大変貴重な事から問屋と表門が昭和48年(1973)に国指定重要文化財に指定されています。又、当時同じ敷地内にあり座敷や宿泊室として利用された建物が明治時代に払い下げとなり佐久市の桃源院の庫裏などで利用された後、近年、近くに移築保存される事となり小諸宿本陣主屋として一般公開されています。

【 北国街道 】−北国街道は日本海の要港だった直江津湊付近から、中山道の追分宿を結ぶ街道で、特に佐渡金山で産出された金を江戸まで運ぶ経路として幕府から重要視され五街道に次ぐ格式を持っていました。又、100万石の大藩だった加賀藩前田家をはじめ、富山藩、大聖寺藩、高田藩などの参勤交代の経路でもあり、北国街道の宿場町は大きく繁栄しました。江戸時代中期以降になると、庶民が神社仏閣を詣でる事が広がり、全国から善光寺戸隠神社諏訪大社などを目指した為、善光寺街道とも呼ばれるようになっています。

【 小諸宿 】−当地は小諸城の城下町である共に、北国街道の宿場町でもあり多くの旅籠や商家などの町屋建築が軒を連ねていました。現在でも良好な町並みとまではいけませんが「小林金吾商店」、「油権:竹内木材」、「粂屋:旧脇本陣」、「山謙酒店」、「旧角大塚」、「ご馳走屋 火付盗賊」、「大塚本店」、「塩川五右衛門」、「ほんまち町屋館」、「大和屋紙店」、「そば七」、「萬屋骨董店:旧小諸銀行」、「大塚味噌醤油点」、「ギャラリーつたや」、「柳茂商店」、「酢久商店」、「嶋田屋」、「山崎長兵衛商店」など多くの町屋家建築が残されています。

小諸宿本陣問屋:写真

本陣
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