大宮熱田神社(松本市)概要: 大宮熱田神社は長野県松本市 梓川梓北北条に鎮座している神社です。大宮熱田神社の創建年は不詳ですが古くから当地方の産土神として住民から崇敬されてきました。当初は本神山山頂(標高:1283m)に「梓水大神」を祭神として鎮座し、三代実録には貞観9年(867)に従5位下の格式があった事が記されています。本神山の山頂からは松本平が一望出来、周囲の飲料水や農業用水の水源でもあった為、古代人の素朴な自然信仰が信仰の源になったのかも知れません。
中世に入ると滋野氏の後裔で鎌倉幕府の御家人、当地の領主である西牧氏が関係したようで居城である北条(西牧)城の麓で西牧氏の支配領域のほぼ中央にある現在地に遷座したと推定されています。
往時は社運も隆盛し周辺の「宮ノ上」、「大門」、「宮ノ前」、「朱引門」といった地名は大宮熱田神社と関わるものと推定され広大な社領を有していたことが窺えます。
文禄年間(1592年〜1596年)に筆された筑摩安曇両郡郷村御朱印御高附には大明神領として二石と記されています。
江戸時代に入ると歴代松本藩主から崇敬庇護され、社領の安堵や社宝の寄進、社殿の修繕などが行われました。
元禄10年(1697)に筆された村々氏神寺堂書上帳によると「あつた大明神、弐間、参間之宮、東向、宮地東西弐町、北南弐町半」。享保9年(1724)に筆された信府統記には「大宮明神」、安政2年(1855)に筆された安曇筑摩両郡村々明細調書上帳に「大宮熱田大明神」と記されています。
明治時代初頭に発令された神仏分離令により仏教色を一掃し県社に列しています。
大宮熱田神社本殿は室町時代後期建てられたと推定される建物で一間社流造、こけら葺き、向拝柱が円柱になっている事が大きな特徴で、蟇股や懸魚などの彫刻にも当時の手法がよく残していることから昭和24年(1949)に国指定重要文化財に指定されています。
大宮熱田神社若宮八幡宮本殿は室町時代後期に造営された建物で、一間社流見世棚造、こけら葺、正面1間向拝付き、外壁は真壁造板張り、当時の神社本殿建築の遺構として大変貴重な事から昭和24年(1949)に国指定重要文化財に指定されています。
又、境内にあるモミの木は目通り周囲6.3m、高さ43m、推定樹齢600年の巨木で長野県内最大級のモミとして貴重な事から昭和37年(1962)に長野県指定天然記念物に指定されています。
大宮熱田神社拝殿は木造平屋建て、切妻、銅板葺き、平入、桁行4間、正面1間切妻向拝付き、外壁は真壁造板張り、神明造。神楽殿は木造平屋建て、入母屋、銅板葺き、妻入り、桁行3間、張間3間、外壁は柱のみの吹き放し。
信州七福神:恵比須。祭神は梓水大神、熱田大神、天照大神、八幡大神。 旧県社。
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