牛伏寺(松本市)概要: 金峯山牛伏寺は長野県松本市内田に境内を構えている真言宗智山派の寺院です。牛伏寺の創建は聖徳太子が自ら十一面観音菩薩像を彫り込み祠を建立した事が始まりと伝えられています(古くは鉢伏山の山頂に牛伏権現が祀っていた事から自然信仰や山岳信仰が盛んだった場所だったと考えられてるそうです)。
当初は普賢院と称していましたが天平勝宝7年(755)に唐の玄宗皇帝の使者が大般経600巻を善光寺(長野県長野市)に奉納の途中、当地で経を運んでいた2頭の牛が倒れた為、寺号を牛伏寺と改称しました。
その後、建保3年(1215)に小二郎親衡が蓬堂から堂平に移し、さらに天文3年(1534)に憲渟が現在地に移っています。牛伏寺は歴代領主からも庇護され寺運が隆盛し江戸時代には50石の寺領が安堵され慶長19年(1614)には小笠原秀政が禁制を発布しています。慶長17年(1612)と寛政8年(1798)の2度大きな火災があり多くの建物や寺宝、記録などが粉塵に帰しましたがその都度再興されています。
寺宝も多く数多くの文化財を有しています。信濃三十三観音霊場第27番札所(札所本尊:十一面観世音菩薩・御詠歌:来世にて 死出の山路は よも越さじ 金峰山へ 参る身なれば)。筑摩三十三番観音札所第9番札所(札所本尊:十一面観世音菩薩・御詠歌:来世にて 死出の山路は よも越さじ 金峰山へ 参る身なれば)。宗派:真言宗智山派。本尊:十一面観音。
牛伏寺仁王門は享保11年(1726)に造営されたもので、入母屋、桟瓦葺(元こけら葺)、三間一戸、桁行3間、梁間2間、八脚楼門、木部は朱塗り、下層部には仁王像安置、江戸時代中期の楼門建築の遺構として貴重な事から昭和44年(1969)に松本市指定文化財に指定されています。
牛伏寺観音堂は正徳2年(1712)に造営されたもので入母屋、銅板葺、桁行5間、梁間4間、正面1間軒唐破風向拝付、江戸時代中期前半の御堂建築の遺構として貴重な事から昭和44年(1969)に松本市指定文化財に指定されています。
牛伏寺如意輪堂は寛政10年(1798)に造営されたもので寄棟、茅葺、平入、桁行6間、梁間6間、七間堂、内部は六間取りの方丈形式、文化2年(1805)に建てられた須弥壇が設置され如意輪観音像(長野県宝)が安置されています。牛伏寺如意輪堂は江戸時代後期に建てられた大型茅葺御堂建築の遺構として貴重な事から平成27年(2015)に松本市指定文化財に指定されています。
牛伏寺の文化財
・ 木造十一面観音及両脇侍立像−藤原時代−国指定重要文化財
・ 木造釈迦来及両脇侍立像−藤原時代−国指定重要文化財
・ 木造薬師如来坐像−藤原時代−国指定重要文化財
・ 木造大威徳明王像−藤原時代−国指定重要文化財
・ 木造如意輪観音坐像−藤原時代−長野県指定県宝
・ 木造蔵王権現立像−平安時代−長野県指定県宝
・ 木造奪衣婆坐像−室町時代−長野県指定県宝
・ 男神立像−平安時代−松本市指定重要文化財
・ 女神坐像−平安時代−松本市指定重要文化財
・ 地蔵菩薩半枷像−南北朝時代−松本市指定重要文化財
・ 十王像附司命司録−室町時代−松本市指定重要文化財
・ 童児坐像附子持石−松本市指定重要文化財
・ 追儺面二面−室町時代−松本市指定重要文化財
・ 鉄磐残欠及び鉄剣残欠−室町時代−松本市指定重要文化財
・ 牛伏寺観音堂−元和8年(1622)−松本市指定重要文化財
・ 牛伏寺観音堂宮殿−江戸時代初期−松本市指定重要文化財
・ 牛伏寺仁王門−正徳6年(1766)−松本市指定重要文化財
・ 牛伏寺如意輪堂−寛政10年(1798)−松本市指定重要文化財
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