千鹿頭神社(松本市)概要: 千鹿頭神社は長野県松本市神田1丁目・松本市大字里山辺に鎮座している神社です。千鹿頭神社の創建は不詳ですが伝承によると延暦年間(782〜806年)に坂上田村麻呂の家臣である藤原緒継と林村の里長である六郎が千鹿頭大神を勧請したのが始まりと伝えられています。
千鹿頭神は長野県諏訪地方を中心に信仰を集めた土着神である洩矢神の孫神である事から古くから諏訪信仰と強い繋がりがあるとされます。中世に入ると林城の城主で、信濃国守護職の小笠原氏から崇敬を受け社運も隆盛しましたが、天文年間(1532〜1555年)武田信玄の信濃侵攻により林城は落城、小笠原氏も当地を離れ、千鹿頭神社も兵火焼失し荒廃します。
当初は千鹿頭山山頂付近(先の宮)に鎮座していましたが再興された際、現在地に遷座し社殿が再建されています。江戸時代初期は松本藩領に組み込まれていたものの、元和4年(1618)に千鹿頭山の尾根を境に高島藩(諏訪藩)領となった為、両藩それぞれ社殿が並列する現在に見られるような特異な配置になりました。
その後は松本藩、高島藩の庇護の下、社領の安堵や社殿の造営が行われ、明治時代初頭に発令された神仏分離令を経て郷社に列しています。
現在の神田側の本殿は正徳5年(1715)に高島藩主である諏訪忠虎が寄進したもので一間社流造、銅板葺(元萱葺)。
林、大嵩崎側の本殿は元文5年(1740)に松本藩主である松平光雄が寄進したもので一間社流造、銅板葺(元萱葺)。一見同じ様な建物ですが、それぞれの棟梁の出身が諏訪と松本と異なる為、建築様式の地域色があるそうです。
千鹿頭神社両本殿は歴史的背景、江戸時代中期の神社本殿建築の遺構として貴重な事から平成7年(1995)に松本市指定重要文化財に指定されています。
卯年と酉年に行われる例祭、御柱大祭行事は古式を伝える貴重な事から神田地区、里山辺地区共に平成12年(2000)に松本市指定無形文化財に指定されています。
神田千鹿頭神社の拝殿は木造平屋建て、入母屋、銅板葺き、平入、桁行4間、張間3間。林千鹿頭社拝殿は木造平屋建て、寄棟、茅葺、平入、桁行4間、張間2間。千鹿頭神社拝殿は貴重な事から平成30年(2018)に松本市指定文化財に指定されています。祭神:千鹿頭神。
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