法蔵寺(安曇野市)概要: 法蔵寺は長野県安曇野市豊科新田に境内を構えている浄土宗の寺院です。法蔵寺の創建は永正3年(1503)、承蓮社傅誉上人が開山したのが始まりと伝えられています。当初は平瀬養老坂上寺坂にありましたが、永正3年(1506)に吉野区梶海渡付近に移り、さらに慶長13年(1608)松本城(長野県松本市)の城主石川康長が千国街道を開削、成相新田宿を開くにあたって慶長16年(1611)に現在地に移されました。
当地を代表する名刹で、江戸時代には寺領20石4斗、境内は東西三丁、南北二丁半、寮舎6軒を有していましたが、明治時代初頭に発令された神仏分離と松本藩による厳しい廃仏毀釈により明治4年(1871)に一旦廃寺となり、明治13年(1880)に再興されています。宗派:浄土宗。本尊:阿弥陀如来。
法蔵寺の山門は寛政元年(1789)に棟梁伊藤長佐衛門矩重によって建てられたもので、正面屋根には唐破風を設え、細部には唐獅子や龍などの精細な彫刻が施されており貴重な事から平成7年(1995)に長野県の県宝に指定されています。鐘楼門は寛政5年(1793)に建てられたもので三間一戸、入母屋、桟瓦葺き上層は鐘楼堂で下層には仁王像が安置されています。庫裏は江戸時代中期に建てられたもので木造2階建、切妻、桟瓦葺き、妻入、塗屋造り、白漆喰仕上げ、玄関屋根は軒唐破風、建築面積402u。書院は江戸時代中期に建てられたもので木造平屋建て、切妻、桟瓦葺き、妻入、書院造り、建築面積65u、間取りは畳10帖の座敷が2間が続き床の間や違い棚、付書院が設えた格式の高い造りになっています。土蔵は安政元年(1854)に建てられたもので、土蔵造り2階建、切妻、桟瓦葺、置屋根形式、外壁は白漆喰仕上げ、建築面積38u。通用門は昭和3年(1928)に建てられたもので切妻(むくり付)、桟瓦葺き、一間一戸、間口2.4m、袖壁付。法蔵寺の鐘楼門、庫裏、土蔵、通用門は「造形の規範となっているもの」との登録基準を満たしている事から平成17年(2005)に国登録有形文化財に登録されています。又、法蔵寺境内一帯は戦国時代に武田信玄が築いた法蔵寺館跡地で安曇野市指定史跡に指定されています。
※ 小川 恵雄(大和屋の家系)様からの情報を記載します。 〇 法蔵寺の庫裏は法蔵寺が建てたものではありません。岩原の安楽寺が建てた庫裏です。明治の廃仏毀釈によって、安楽寺から穂高の豪商・庄屋小川家(屋号・大和屋)が移築した庫裏です。その後明治の末期くらいに法蔵寺に再度移築し整備されています。
薬医門を簡単に説明した動画
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