安曇野市: 有明山神社

  長野県:歴史・観光・見所安曇野市:歴史・観光・見所>有明山神社

概要・歴史・観光・見所
有明山神社(安曇野市)概要: 有明山神社は長野県安曇野市穂高有明宮城に鎮座しています。有明山神社の創建は不詳ですが御神体である有明山は天岩戸(※1)に御隠れになった天照大神の岩戸を手力雄命が開け投げ飛ばしたところ山になったと伝わる霊山で古くから山岳信仰として信仰の対象になっていました。孝元天皇5年(紀元前210年)、戸放権現が勧請、社殿が造営され後に有明山神社と呼ばれるようになりました。延暦24年(805)、安曇郡に巣くい悪事を繰り返した八面大王(魏石鬼)(※2)を掃討する為当地に派遣された坂上田村麻呂が戦勝祈願を行い、見事念願成就した事から、八面大王を討った宝刀が納められたと伝えられています。中世に入ると領主である仁科家の祈願所として庇護され建保3年(1215)には後鳥羽上皇によって歌われた「かたしきの衣手寒く時雨つつ有明の山にかかるむら雲」が仁科盛遠を通して奉納されています。明治時代初頭に発令された神仏分離令により仏式が排され明治8年(1875)に現在地に里宮(現在の本宮)が建立され、明治35年(1902)には現在の随神門が造営されました。現在も有明山を登拝する前に登山者が安全祈願の為に参拝するのが常とされ信仰の対象となっています。祭神:手力雄命、八意思兼命、大己貴命、天照大神、天鈿女命、金毘羅権現。

有明山神社随神門(切妻、銅瓦棒葺、三間一戸、八脚単層門、正面軒唐破風、十二支の彫刻、二十四孝の彫刻、格天井絵、安曇野市指定文化財)は佐々木喜十、清水虎吉(立川流彫刻師)、村田香谷(京都の画家)らが棟梁、彫刻家として建てられたもので、特に日光東照宮(栃木県日光市)の陽明門(※3)を模した荘厳華麗な建物だった事から信濃日光とも云われ「裕明門」と呼ばれました。有明山神社には社宝も多く手水舎(明治時代、飛騨の工匠山口権之正の作)、神楽殿の小組格天井板絵(82点:明治33年:1900年から大正時代初期にかけて藤森桂谷が中心となり日本画家54名により製作)、残月集(明治24年:1891年製作、全国の一流の歌人、著名人より献詠された詩歌集)が安曇野市指定文化財に指定されています。

補足:(※1)天岩戸−日本書紀の神話の舞台。建速須佐之男命の悪事により天照大神が天岩戸に隠れた為、世界は暗闇となった。八百万の神々は何とか天照大神の姿を現す為、様々な工夫が行われた。
(※2)八面大王−魏石鬼(義死鬼)とも。安曇郡に巣くう悪鬼で坂上田村麻呂が討つ取ったとされ、魏石鬼の剣が有明山神社に納められた。他説では当時の領主仁科家の家臣等々力家の嫡男田村守宮によって討ち取られ、田村守宮が後年田村麻呂と混同して伝えられてたとも。
(※3)陽明門−寛永13年(1636)3代将軍徳川家光により造営。徳川家康を祀る日光東照宮の中門にあたり、様々な彫刻が随所に施され、1日見ても飽きない事から「日暮門」の別称があります。国宝。

有明山神社:写真

有明山神社
[ 付近地図: 長野県安曇野市 ]・[ 安曇野市:歴史・観光・見所 ]
有明山神社 有明山神社 有明山神社 有明山神社
有明山神社 有明山神社 有明山神社 有明山神社


※ 相談や質問は大変失礼ですが、メールのみとさせていただきます。 回答によって不都合や不利益をこうむっても当サイトは一切責任を負いません。又、回答を直接的(当サイトの名前を使って)に交渉や請求の手段とすることはご遠慮くださるようお願い申し上げます。 予告なしに追加、書き替えを行いますのでご了承ください。尚、「長野県:歴史・観光・見所」は「郷土資料辞典 長野県」、「長野県の歴史」「パンフレット」、「案内板」、「関係HP」を参考にさせていただいています。