有明山神社

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概要・歴史・観光・見所
有明山神社(安曇野市)概要: 有明山神社は長野県安曇野市穂高有明宮城に鎮座し背後に聳える有明山を御神体とする神社です。有明山(標高:2268m)は山容の美しさから信濃富士の別称があり、中腹から山頂にかけては奇岩怪石が複数点在し、水源地の一つにもなっていた事から古代から現在に至るまで霊山として信仰の対象となりました。当初は素朴な自然崇拝だったようで、麓に点在する村々には「拝み」と呼ばれる遥拝所が設けられました。年代は不詳ですが、戸隠神社(長野県長野市)の影響を受け、有明山は天岩戸(※1)に御隠れになった天照大神の岩戸を手力雄命が開け投げ飛ばしたところ天下が明るくなり山になったとの伝説が流布され、社伝では孝元天皇5年(紀元前210年)に戸放権現を勧請し、社殿が造営され後に有明山神社と呼ばれるようになったと伝えられています。

延暦24年(805)、安曇郡に巣くい悪事を繰り返した八面大王(魏石鬼)(※2)を掃討する為当地に派遣された坂上田村麻呂が戦勝祈願を行い、見事念願成就した事から、八面大王を討った宝刀が納められたと伝えられています。一方、江戸時代中期の享保9年(1724)に松本藩の藩主の命により編纂された領内の歴史・地理を纏めた「信府統記」によると平安時代初期の大同2年(807)に征夷大将軍である坂上田村麻呂が八面大王を成敗する為に当地まで進軍した際、有明山神社に武運長久を祈願し宝剣を奉納した事が記されています。有明山の山中には魏石鬼岩窟があり、案内板によると「 魏石鬼八面大王という鬼がたてこもったと伝えられる。この岩は巨大な花崗岩で組立てられた穂高町有数の古墳(横穴式石室)である。考古学者鳥居瀧蔵博士は全国的に珍しい古墳であると推奨した。 長野県・穂高町」とあります(筑摩神社には八面大王の首塚があります)。

有明山は歌枕の地としても知られ、西行法師(平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての武士・僧侶・歌人)は「信濃なる有明山を西に見て 心細野の道を行くなり」、藤原定家(鎌倉時代初期の公家・歌人、小倉百人一首の撰者)は「てりかはる紅葉をみねの光にて まつ月細き有明の山」、後鳥羽院(第82代天皇)は「かたしきの衣手寒く時雨つつ 有明の山にかかるむら雲」などが詠まれています。中世に入ると領主である仁科家の祈願所として庇護され建保3年(1215)には後鳥羽上皇によって歌われた「かたしきの衣手寒く時雨つつ有明の山にかかるむら雲」が仁科盛遠を通して奉納されています。

享保6年(1721)には修験道の高僧として知られる宥快が有明山を登拝し開山、本格的な修験の山として整備され、山頂の中岳と南岳には有明山神社の奥宮、北岳には松川村に鎮座する有明山社の奥宮が設けられました。現存する資料から察すると江戸時代中期に宥快によって初めて有明山が開山した事になりますが、伝承に戸隠神社の影響を受けている事から平安時代から中世には何らかな信仰施設があり修験道が行われていたものの、その後衰退したと考える方が自然と考えます。宥快が開山した以降は庶民の行楽思考の向上などもあり、多くの信者や参拝者が登拝したとの記録があるものの明治時代の神仏分離令と修験道廃止令により一時荒廃、その後、旧豊科町寺所出身の敬神家岡村阜一氏が再興を果たし、現在地に里宮となる有明山神社の社殿を造営しています。毎年7月中旬には奥社祭が行われ、一般から募集を募り有明山の山頂を目指し登拝します。

明治時代初頭に発令された神仏分離令により仏式が排され明治8年(1875)に現在地に里宮(現在の本宮)が建立され、明治35年(1902)には現在の随神門が造営されました。現在も有明山を登拝する前に登山者が安全祈願の為に参拝するのが常とされ信仰の対象となっています。祭神:手力雄命、八意思兼命、大己貴命、天照大神、天鈿女命、金毘羅権現。

有明山神社随神門(切妻、銅瓦棒葺、三間一戸、八脚単層門、正面軒唐破風、十二支の彫刻、二十四孝の彫刻、格天井絵、安曇野市指定文化財)は佐々木喜十、清水虎吉(立川流彫刻師)、村田香谷(京都の画家)らが棟梁、彫刻家として建てられたもので、特に日光東照宮(栃木県日光市)の陽明門(※3)を模した荘厳華麗な建物だった事から信濃日光とも云われ「裕明門」と呼ばれました。有明山神社には社宝も多く手水舎(明治時代、飛騨の工匠山口権之正の作)、神楽殿の小組格天井板絵(82点:明治33年:1900年から大正時代初期にかけて藤森桂谷が中心となり日本画家54名により製作)、残月集(明治24年:1891年製作、全国の一流の歌人、著名人より献詠された詩歌集)が安曇野市指定文化財に指定されています。

補足:(※1)天岩戸−日本書紀の神話の舞台。建速須佐之男命の悪事により天照大神が天岩戸に隠れた為、世界は暗闇となった。八百万の神々は何とか天照大神の姿を現す為、様々な工夫が行われた。
(※2)八面大王−魏石鬼(義死鬼)とも。安曇郡に巣くう悪鬼で坂上田村麻呂が討つ取ったとされ、魏石鬼の剣が有明山神社に納められた。他説では当時の領主仁科家の家臣等々力家の嫡男田村守宮によって討ち取られ、田村守宮が後年田村麻呂と混同して伝えられてたとも。
(※3)陽明門−寛永13年(1636)3代将軍徳川家光により造営。徳川家康を祀る日光東照宮の中門にあたり、様々な彫刻が随所に施され、1日見ても飽きない事から「日暮門」の別称があります。国宝。

有明山神社(随身門・神楽殿):写真

有明山神社
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