東光寺(安曇野市)概要: 吉祥山東光寺は長野県安曇野市穂高等々力に境内を構えている曹洞宗の寺院です。 東光寺の創建年は詳細は不詳ですが、当地域の有力者である等々力家の尽力により開かれたのが始まりと伝えられています。等々力氏は飛鳥時代に当地に配された仁科家に従った旧家で、戦国時代に仁科家が没落するまで重臣として当地を支配しました。応永7年(1400)の大塔合戦でも仁科盛房の被官として「戸度呂木氏」の名が見られ、永正10年(1556)に生島足島神社(長野県上田市)に奉納した起請文の中にも等々力豊前守定厚の名を見る事が出来ます。仁科家が没落後は郷士として松本城の城主となった小笠原家に従い、小笠原家が移封になると随行せず、江戸時代に当地の大庄屋として屋敷が松本藩主の本陣的な役割を持ち視察で当地まで赴いた際には利用されていました。
東光寺は当初、東龍寺と称し等々力家の城である貝梅の北城(現在の長野県安曇野市穂高等々力北城)に境内を構えていましたが、天正18年(1590)に現在地に境内を移し吉祥山東光寺に改称しています。貝梅の北城には天正年間(1573〜1592年)に烏川が氾濫し大破したとの伝承が残されている事から、これを機に当地に移ってきたのかも知れません。
東光寺本堂は木造平屋建て、入母屋、銅板葺き、平入、桁行6間、正面1間向拝付き、外壁は真壁造白漆喰仕上げ。山号:吉祥山。宗派:曹洞宗。本尊:馬頭観世音菩薩。信州七福神(※1)の大黒天の札所。信州川西観音札所第八番札所。寺宝:薬師如来立像(※2)。山門は三間一戸、入母屋、銅板葺(下屋庇:銅板葺)、二重楼門、外壁は真壁造り板張り、上層部花頭窓、高欄付、下層部仁王像安置、「吉祥門」の扁額を掲げ、正面にある大きな下駄は仁王像のもので、履くと御利益があるそうです。
補足
(※1)信州七福神−長野県中信地方に所在し昭和53年(1978)に選定された。
・ 恵比須(商売繁盛・五穀豊穣・大漁追福の神)−大宮熱田神社−松本市梓川
・ 大黒天(食物・財福を司る神)−東光寺−安曇野市穂高等々力
・ 毘沙門天(福徳増進の神)−長興寺−塩尻市洗馬元町
・ 弁財天(音楽・弁才・財福・知恵の神)−専称寺−松本市新村
・ 寿老人(道教の神、南極老人)−兎川寺−松本市里山辺
・ 布袋(弥勒菩薩の化身)−盛泉寺−松本市波田
・ 福禄寿(長寿と福禄の神)−宗林寺−安曇野市明科光
(※2)薬師如来像−室町時代中期から後期に制作、像高107cm、総高129cm。市指定文化財。
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