生島足島神社

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概要・歴史・観光・見所
生島足島神社(上田市)概要: 生島足島神社は長野県上田市下之郷に鎮座している神社です。生島足島神社生島足島神社の創建は不詳ですが、諏訪大社の祭神である建御名方命が勧請される遥か以前から当地に祀られていたと伝えられています。島足島神社に伝わる社伝によると古代、境内一帯は日本国の中央、中心と考えられており、その日本全土の守護神、総鎮守として生島神(生国魂大神:万物を生み育て生命力を与える神)、足島神(足国魂大神:国中を満ち足らしめる神)が勧請されました。諏訪大社の祭神である建御名方富命が出雲(現在の島根県)で国譲りの際、建御雷神に敗れ諏訪に向かう途中に、この地半年間留まり生島神、足島神に米粥を煮て献じるなど奉仕し、現在に伝わる御籠祭の神事は、この故事を受継いでものとされています。

当時の諏訪地方には地元神と思われる洩矢神がいた為、建御名方命が諏訪に入る事が出来ず戦さが行われたとの伝承が残されている事から建御名方命は当地の地元神と思われる生島足島神に近寄る事で味方に付けたかったのかも知れません。生島大神と足島大神は当地の地元神だったと推定される一方で科野国造の多氏が宮中(神祇官西院で祀られる神23座に記載有)から勧請したという説もあり、多氏の一族とされる金刺氏が諏訪大社下社(長野県下諏訪町)の大祝家を歴任した事から関係性が窺えます。

記録的には平安時代に書かれた法制書である「新抄格勅符抄」には大同元年(806)に生島足島神に神戸1戸が与えられている事が記されていることから少なくともこれ以前から鎮座していた事が確実で延長5年(927)に編纂された延喜式神名帳には「生島足島神社二座 並名神大」との記載があり有力な神社として記載される式内社の中でもさらに格式が高い名神大社に列していました。天皇が都を定められる時には、必ず生島大神と足島大神の2神に鎮祭されるなど古くから格式の高い神社で特別視されていたと思われます。

歴代領主からも崇敬庇護され建治年間(1275〜1278年)には塩田平を領地としていた北条国時(鎌倉幕府執権北条氏の有力一族で当時の領主塩田北条家)が社殿を造営し、第4次川中島の戦い(最大の激戦となった)の2年前の永禄2年(1559)には武田信玄が上杉謙信に対して決戦を望む戦勝祈願を生島足島神社(当時は下郷諏訪大明神)行い社殿修繕料を寄進しています。永禄10年(1567)には信濃、甲州、上州の武将達が武田信玄の忠誠を誓う起請文が奉納され、特に仁科盛政のものは全国の著名な神社や信州の神社(諏訪大社、小野南北大明神(小野神社矢彦神社)、飯綱神社、戸隠神社、八幡神社(武水別神社?))に身命を掛け、信玄を裏切ったら地獄に落ちてもいい旨が記され当時の地方領主との関係性が窺えます。

武田家が滅ぶと真田昌幸・信幸をはじめ歴代上田城主が社殿の再建や社領の寄進を行い慶長15年(1610)には上田藩(藩庁:上田城)の藩主となった真田信之が生島足島神社摂社諏訪社本殿を再建しています。何時頃からか「下之郷大明神」、「諏方法性大明神」、「下之郷上下宮」、「下郷諏訪大明神」などと呼ばれていましたが寛政11年(1799)、京都吉田家の許可を得て旧社号と思われる「生島足島神社」に復しています。明治時代の神仏分離令を経て、明治23年(1890)に国幣中社に列しています。信濃國十四社巡り。祭神:生島大神、足島大神。

現在の生島足島神社本殿内殿は戦国時代の天文年間(1522〜1555年)に建てられた建物で切妻、板葺(元こけら葺)、桁行3間、梁間2間、向って左側2間が内陣、右側1間が外陣で共に床がなく、内陣の土間が御神体とされます。生島足島神社本殿内殿の同形式ものは現在、日前国懸神宮本殿以外なく貴重な事から平成10年(1998)に長野県の県宝に指定されています。生島足島神社摂社諏訪本殿及び門は慶長10年(1610)に上田藩主真田信之が寄進したもので、本殿は一間社流造、銅板葺き、間口2.8m、神門は諏訪大社の建築形式を模した「御門屋」形式、桃山文化を継承した華麗な社殿建築で、門は現存する「御門屋」形式最古の建物として貴重な事から平成14年(2002)に長野県の県宝に指定されています。

生島足島神社歌舞伎舞台は明治元年(1868)に建てられた建物で、桁行9間、梁間7間、中2階に「太夫坐」や「下座」を設け中央には「廻り舞台」その前方に「せり上り」があります。長野県に残る農村歌舞伎舞台では最大規模で全国的にみても上位とされ、ほぼ完全な形を残している貴重な建物として昭和61年(1986)に長野県の県宝に指定されています。生島足島神社文書は主に武田信玄が生島足島神社に家臣達を集め、信玄に対して忠誠を誓させた内容のものが多く、永禄9年(1566)3通、永禄10年(1567)80通、合計83通が昭和62年(1987)に国指定重要文化財に指定されています。

鉄製湯釜(6個)は室町時代から江戸時代にかけて生島足島神社の神事用に奉納されたもので、鋳鉄広口釜、高さ21.8〜28.6cm、口径44〜50cm、神事の形式や、湯立釜の変遷が判る貴重な遺構である事から昭和55年(1980)に上田市指定文化財に指定されています。木造狛犬は室町時代に生島足島神社に奉納されたもので、桧材、寄木造、胡粉地仕上げ、阿形総高54.2cm、吽形総高54.5cm、室町時代の大型狛犬の遺構として貴重な事から昭和55年(1980)に上田市指定文化財に指定されています。

生島足島神社の境内周辺は鎌倉時代後期に塩田北条氏が支配した塩田平と呼ばれる地域で、生島足島神社をはじめ、前山寺中禅寺安楽寺北向観音などの社寺が点在し信州の鎌倉と呼ばれ多くの観光客が訪れています。

生島足島神社の文化財
・ 生島足島神社文書(起請文83通)−室町時代−国指定重要文化財
・ 本殿内殿−天文年間−三間社、切妻、板葺(こけら葺)−長野県県宝
・ 歌舞伎舞台−明治元年−切妻、桟瓦葺、平入、桁行9間−長野県県宝
・ 摂社諏訪社本殿及び門−慶長15年−一間社流造、銅板葺−長野県県宝
・ 鉄製湯釜−室町時代(天正15年)〜江戸時代−上田市指定文化財
・ 木造狛犬−室町時代−桧材、寄木造、胡粉地−上田市指定文化財
・ 下之郷三頭獅子−上田市指定無形民俗文化財

【 参考:サイト 】
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
公式ホームページ
【 参考:文献等 】
・ 現地案内板(由緒)-生島足島神社
・ 現地案内板-長野県教育委員会・上田市教育委員会

生島足島神社:諏訪社・歌舞伎舞台・写真

生島足島神社
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