旧下市田学校(高森町)概要: 旧下市田学校校舎は明治19年(1886)3月の火災により校舎が全焼し、明治21年(1888)に建てられたもので、木造2階建、寄棟、桟瓦葺、外壁は白漆喰仕上げ、腰壁は海鼠壁、棟梁は木曽出身の宮大工坂田亀吉が手懸けています(一般部分を地元大工、正面玄関やバルコニーなど目立つ所を名工として名を馳せた坂田亀吉が担当したそうです)。平面は略左右対称で、正面中央は大きく前に張り出し玄関とバルコニーが設けられ唐破風の印象深い意匠になっています。
唐破風屋根や懸魚、梁、蟇股の彫刻、海鼠壁、止瓦、棟瓦といった和風建築の要素と縦長の開口部(前面と背後の壁は略全面ガラスの開口部で教育空間として採光や通風に有利になるように計画されています。)やベンランダ手摺の意匠など洋風建築の要素が見られる所謂和洋折衷の建物で明治時代の学校建築の特徴が見られます。
当初は萩山神社に隣接する敷地に建てられていましたが明治44年(1911)に現在地に移築されています。旧下市田学校校舎は明治時代に建てられた数少ない学校建築の遺構として貴重な事から昭和56年(1981)に高森町指定有形文化財に指定されています。
【 参考:文献等 】
・ 現地案内板-高森町教育委員会
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