飯田市: 運松寺

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概要・歴史・観光・見所
運松寺(飯田市)概要: 長熊山運松寺の創建は不詳ですが鎌倉時代初期に小笠原長清が源頼朝に信濃守に任ぜられた後に寺領の安堵が行われています。小笠原貞宗の代に改めて禅宗寺院として開山、以降、小笠原家縁の寺院として庇護されていました。特に小笠原定基は当寺の薬師如来に篤く帰依し、眼病になった際に平癒を祈願すると、念願成就した事から天文11年(1542)に伊那十二薬師を選定し運松寺を1番札所に定め堂宇を造営しています。戦国時代に武田家が没落すると小笠原家は徳川家に与し、天正18年(1590)に徳川家康が関東に移封になると当時の当主小笠原信嶺は武蔵児玉郡本庄1万石で移封となり、庇護者を失った運松寺は衰微します。慶長6年(1601)に法誉伝策和尚が浄土宗の寺院として改宗開山し再興が図られています。伊那西国観音札所第十四番札所(札所本尊:聖観音菩薩)。中部薬師四十九ケ所第十九番(札所本尊:薬師如来・伝:行基菩薩作)。伊那十二薬師一番札所(札所本尊:薬師如来)。宗派:浄土宗。本尊:阿弥陀如来。

運松寺の鐘楼門は案内板によると「 此の門は、享保20年(西暦1735年)に建立。棟梁は飯田藩住の、南都工匠坂巻吉次の一族の坂巻新兵衛吉英 大工は、その弟子による。旧本堂の正面に在りて、素朴な建築で、構造形式一間切妻造 虹梁の絵様や、蟇股の形式は、18世紀の標準的な様式をよく示している。 飯田市教育委員会 」とあります。運松寺鐘楼門は一間一戸、切妻、桟瓦葺き、桁行4.27m、梁間2.48m、薬医門形式、江戸時代中期に建てられた楼門建築の遺構として貴重な事から平成10年(1998)に飯田市指定有形文化財に指定されています。現在の本堂前にある山門は、案内板によると「 山門は、もと松尾神社の神宮寺のものであったが、明治初年に廃仏毀釈による廃寺となり、この寺に移築された。山門の構造は、薬医門形式、大屋根二重繁垂木で、骨組もしっかりしていて、彫刻も入念で見事なできである。諏訪出身の名工、立川和四郎(冨棟)の作と言われ屋根瓦の巴には小笠原の家紋である三階菱の残ったものもある。」とあります。

運松寺:写真

運松寺
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