雲彩寺(飯田市)概要: 白雉山雲彩寺は長野県飯田市上郷飯沼に境内を構えている曹洞宗の寺院です。雲彩寺は白雉年間(650〜654年)に開かれた古寺で当初は現在より川下1キロ程に位置する薬師垣外に境内を構えていましたが明治7年(1874)に現在地に境内を移しています。
本尊の薬師如来像は当時、当地方に不作が続いた際に五穀豊穣の祈願をした所、見事念願成就して豊作になった事から信仰の対象となっています。
雲彩寺山門は飯田城の桜丸にあった脇門を移築した建物と推定されています。明治4年(1871)に飯田城が廃城になると城内の多くの建物が破却、払い下げとなり、その内2棟の城門が上郷村黒田の住人斉藤重胤によって買い上げられ、1棟が大正10年(1921)頃に吉川源美に渡り雲彩寺に寄進されました。
雲彩寺山門は1700年代前半に建築されたと推定され切妻、桟瓦葺、一間一戸、高さ4.6m、幅2.55m、奥行き1.55m、薬医門形式(※1)、左側には潜門の扉が残り、右側には当時の袖壁が付いていた名残が見られ、数少ない飯田城の遺構として貴重な事から平成22年(2010)に飯田市指定文化財に指定されています。
又、雲彩寺境内一帯は下伊那最大級の前方後円墳である雲彩寺古墳(飯沼天神塚古墳)の所在地で全長約78m、前方部方39.5m、高さ7.7m、後円部径31m、高さ8.5m、横穴式石室が現存しています。古墳の存在は古くから知られ江戸時代には発掘調査が行われ、出土品の詳細「雲彩寺所蔵古物之図」にまとめられています。
6世紀前半に築造された当時の首長級の墳墓とされ副葬品は多くが紛失し馬鈴2個と金環1個のみとなりましたが、当地を代表する古墳として貴重な事から昭和40年(1965)に長野県指定史跡に指定されています(平成28年:2016年に「飯田古墳群」の構成要素の一つとして国指定史跡に指定されています)。中部四十九薬師霊場第18番(札所本尊:薬師如来)。宗派:曹洞宗。本尊:木像薬師瑠璃光如来座像(伝:行基菩薩作)。
補足(※1)薬医門形式−本柱2本、背後の控え柱2本、計4本で切妻屋根を支える門形式。
薬医門を簡単に説明した動画
【 参考:文献等 】
・ 現地案内板(古墳)-飯田市教育委員会
・ 現地案内板(山門)
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