木曽路(中山道) :三留野宿

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三留野宿・歴史・観光・見所
三留野宿(木曽路・宿場町)概要: 三留野宿は慶長から元和年間に整備された宿場町で中山道69次中41番目(79里24町28間(312.9キロ)に位置しています。天保14年(1843)に編纂された「中山道宿村大概帳」によると本陣1軒(鮎沢家)、脇本陣1軒(宮川家)、旅籠32軒、問屋(勝野家)、旅籠32軒(大7・中19・小6)、人口594人で構成されていました。三留野宿は新町、上仲町、下仲町、坂の下で構成され2町15間(約153m)の長さがあり概ね尾張藩領として支配されました。江戸時代には万治、延宝、元和、宝永年間の4度火災があり特に明治14年(1881)の大火災で多くの建物(家屋74軒・土蔵8軒)が焼失し、現在の町並みはそれ以降に再建されたものです。本陣は代々鮎沢弥左衛門家が世襲し文久2年(1862)11月1日には皇女和宮が、明治13年(1880)6月27日には明治天皇が宿泊で利用しています。明治14年(1881)7月10日の三留野宿大火に類焼し本陣の建物も焼失しましたが「枝垂れ梅の木」(南木曽町指定天然記念物)や「御膳水の井戸」(昭和54年に復元)などが往時の繁栄が窺えます。脇本陣は代々宮川家が世襲し脇本陣役だけでなく三留野村の庄屋など上役を歴任に宿場内での実力者でした。街道に隣接する等覚寺は天正年間(1573〜1593年)に当地に移ってきたと伝えられる曹洞宗の寺院で境内に建立されている円空堂には円空仏(弁財天十五童子像・天神像・韋駄天像:南木曽町指定有形文化財)が安置されています。三留野宿は往時、皇女和宮や明治天皇の巡航をはじめ正岡子規や斉藤茂吉などの文人墨客が利用し活気があったそうですが南木曽駅が出来てからは中心部が駅前に移り、現在は明治以降に建てられた町屋で構成される落ち着いた町並みを見ることが出来ます。又、三留野宿の地名は中世木曽氏の館があった為「御殿」と呼ばれていたことが由来になったと伝えられています。
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三留野宿
三留野宿:町並み・写真
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