長野市: 守田廼神社

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概要・歴史・観光・見所
守田廼神社(長野市)概要: 守田廼神社は長野県長野市高田字八幡宮西沖に鎮座している神社です。守田廼神社の創建は不詳ですが平安時代の延長5年(927)に編纂された延喜式神名帳に記載されている式内社の論社とされます。当初は、守田沖に鎮座し旧北高田村の産土神として信仰、鶴岡八幡宮(神奈川県鎌倉市)から分霊である八幡神が勧請合祀された事で守田八幡宮と呼ばれ、建久8年(1197)には初代鎌倉幕府将軍源頼朝から神饌が奉納されたそうです。社殿が焼失すると神託により、長禄3年(1459)に現在地に遷座し再興しましたが、戦国時代の天文9年(1540)に兵火により社殿が焼失し再び大きな被害を受けています。善光寺とは関係が深く、元禄12年(1699)には鎌倉時代初期に本田治郎と専光坊良運によって彫刻され善光寺の守護神として奉斎された八幡神像(御神体)が神託により年神堂から当社に遷されています。その後、式内社「守田神社」に復する機運が高まり、宝暦6年(1756)に神祇管領吉田家からその主旨を認められ守田神社の称号を賜っています。しかし、式内社「守田神社」の論社は複数存在した事から激しい論争となり、結局、天保10年(1839)に現在の社号である「守田廼神社」に変更を余儀なくされました。明治時代初頭に発令された神仏分離令を経て村社に列する一方、善光寺から神式が排除される事になり、明治12年(1879)に年神堂の建物が守田廼神社の本殿として当社に遷されました。

守田廼神社本殿は室町時代後期から江戸初期にかけて建てられた桃山建築で、三間社流造、木羽板葺き、極彩色、貴重な事から昭和42年(1967)に長野市指定有形文化財に指定されています。拝殿は木造平屋建て、入母屋、銅板葺き、正面千鳥破風、桁行4間、張間2間、正面1間軒唐破風向拝付き、左右片拝殿付き。祝詞殿は木造平屋建て、入母屋、桟瓦葺き、妻入り、間口2間、奥行き3間、外壁は真壁造白漆喰仕上げ。覆い屋は木造平屋建て、切妻、桟瓦葺き、平入、桁行3間、張間2間、外壁は真壁造白漆喰仕上げ。祭神:誉田別命、建御名方命、保食神。

守田廼神社:写真

守田廼神社
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