戸隠神社中社

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概要・歴史・観光・見所
中社(戸隠神社)概要: 戸隠神社中社は戸隠五社(奥社中社宝光社九頭龍社火之御子社)の1社で創建は天暦3年(949)に奥社の相殿として勧請されたのが始まりと伝えられています。平安時代末期から神仏混合し寛治元年(1087)に当時の別当の霊夢に戸隠神の化身が立ち「当社は3院で構成したほうが良い」との御告げがあり奥院(奥社)と宝光院(宝光社)の中間に中院(中社)を遷座し戸隠山が3院制(戸隠三社)となりました。

天福元年(1233)には当時の別当の霊夢に飯縄大明神の化身が立ち吾は是れ、日本第三の天狗なり。願わくは此の山の傍らに侍し、権現の慈風に当たりて三熱の苦を脱するを得ん。須らく仁祠の玉台に列すべし。当山の鎮守と為らん。」との御告げがありました。応仁2年(1468)には天台宗と真言宗との対立から天台宗派の宣澄が真言宗派から暗殺されるという事件が起こり、その後、宣澄の祟りから真言宗派が衰退したと伝えられています。明治時代初頭に発令された神仏分離令により本地仏であった釈迦牟尼仏が廃され中院(富岡院)が廃寺となり戸隠神社中社として国幣小社に列しました。

現在の戸隠神社中社社殿は昭和31年(1956)に再建されたもので木造平屋建て、入母屋、銅板葺、妻入、間口6間、正面3間軒唐破風向拝付、外壁は真壁造板張り、旧社殿には狩野派の絵師河鍋暁斎に描かれた「龍の天井絵」がありましたが火災により焼失し近年復元されています。祭神の天八意思兼命は天照大神が天岩戸に隠れた時、岩戸神楽を発案し天照大神の興味引かせた事で知られ学業成熟、家内安全、営業隆昌、開運守護に御利益があるして信仰を集めています。

又、戸隠神社中社境内には"八百比丘伝説"(猟師が人魚を捕らえると過って3人の子供が人魚の肉を食べてしまいました。子供らは人魚になってしまい、猟師は戸隠山に3本の杉を植え罪を償ったと伝えられています。)が伝わる推定樹齢900年に三本杉(略72m間隔で正三角形を模るように植えられています。左側:樹高40m、幹周9.9m・右側:樹高40m、幹周9.65m・社前:樹高40m、幹周7.9m)があり平成17年(2005)に長野市指定天然記念物に指定されています。現在でも門前には奥社門前から移された宿坊街が形成し神仏習合時代の名残が見られます。信濃國十四社巡り

【 参考:文献等 】
・ 現地案内板-長野県教育委員会・長野市教育委員会
・ 現地案内板-長野県教育委員会
・ 現地案内板-戸隠観光協会
・ 現地案内板(戸隠神社中社 御由緒並びに御神徳)
・ 現地案内板(拝殿天井絵)-戸隠神社

戸隠神社中社:社殿・境内・写真

中社
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