長野市(歴史)概要: 長野市は飛鳥時代に開山した善光寺の門前町として発展してきた町です。善光寺は宗派や男女、身分など問わず参拝出来る寺院として広く知られていた存在で「遠くとも一度は参れ善光寺」や「牛に引かれて善光寺参り」などといった言葉も生まれ多くの信者や参拝客が訪れ賑ったとされます。戦国時代には越後の上杉家と甲斐の武田家の領地の境界線付近だったことから川中島を挟み何度も戦が繰りかされ善光寺を始め現在の長野市周辺は戦火を浴び大きな被害を受けています。善光寺本尊も上杉謙信や武田信玄、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康など支配者が変わる毎に遷され長野に帰安したのは慶長3年(1598)のことです。
江戸時代に入ると幕府により善光寺が復興され、さらに北国街道の宿場町として善光寺宿が開かれたことで加賀藩始め北陸諸侯の参勤交代や、佐渡金山で産出される鉱物を江戸に運ぶために利用され大きく発展しました。又、周囲の開発も進み、特に善光寺平の綿の栽培は大きな富をもたらし、木綿・薪・炭などの取引に周辺6郡から人が集まったと言われています。明治時代に入り長野県庁が置かれたことで名実共に長野県の中心地として以後発展しています。
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