安曇野市(歴史)概要: 安曇野市は九州北部を本拠としていた安曇族が日本海沿いにこの地まで逃れ土着、開発した地域と言われています。平安時代に編纂された延喜式神名帳に記載されている明神大社穂高神社には穂高見神や綿津見神などは安曇族の祖神とされる海に関係する神々が祭られています。7世紀に発足した信濃国には安曇郡が存在していて高家郷、八原郷、前科郷、村上郷の4郷から構成されていました。中世に入ると海野氏が支配し安曇野市周辺には海野氏の一族とされる光氏や塔原氏が城を築き統治します。戦国時代に入ると小笠原氏の支配となりますが武田氏が信濃に侵攻すると光城や塔ノ原城は落城、武田氏が滅びると徳川家の支援を受けた小笠原氏が復権しています。江戸時代に入ると松本藩に属し、千国街道(糸魚川街道・塩の道)の宿場町として成相新田宿と保高宿が設けられ日本海の海産物など多くの物資が運び込まれています。
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