巴御前

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人 物 名
備 考
・巴御前中原兼遠の娘で、木曽義仲の愛妾、一軍の大将として数々の功績を挙げたとされる人物。ただし、第一級資料とされるものには、巴御前本人だけでなく、それに該当したと思われる人物も記載されていない事から実在を疑問視されています。一般的に資料的価値が低いとされる軍記物の「平家物語」や「源平闘諍録」、「源平盛衰記」などで記載され、時代が下がりより物語性が強調されるようになると、木曽義仲の愛妾で才色兼備、武芸の達人として義仲を語る上で欠かせない存在となりました。
巴ヶ淵・巴御前はこの淵に住む竜神で、義仲の守護神となる為に中原兼遠の娘として生まれてきたという伝説が残されています。又、この淵で泳ぎの鍛錬や、武芸の修練などを行ったと伝えられています。
・徳音寺・義仲が亡くなると、役目を終えた巴御前は竜神の姿に戻り、再び巴ヶ淵の川底に戻りました。その後、その遺徳を偲び、戒名「龍神院殿真巌玄珠大姉」が与えられ義仲の菩提寺である徳音寺に供養塔が建立されました。
・通の浮石・巴御前が礫を木曽川に向って投げた石が、不思議な事に夜になると川を下り「ヤヨヒ」と呼ばれる所に移動すると伝えられています。
・興禅寺・巴御前により義仲の遺髪が興禅寺に納められ、後に義仲の供養塔が建立された。
・長福寺長福寺には巴御前が使用したと伝わる薙刀が寺宝として所有しています。
・振袖松振袖松は義仲が弓を射ようとした際、松の枝が邪魔だったので、巴御前が振袖で幹ごと薙倒したと伝えられています。松くい虫被害により先代の松が伐採され、かぶと観音堂の境内に木舟として再利用されています。
・鯉岩妻籠宿にある鯉岩は義仲と巴御前が別れを惜しんだ事から「恋岩」と呼ばれた。
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