松尾芭蕉

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人 物 名
備 考
・松尾芭蕉・松尾芭蕉が木曽路(中山道)を訪れたのは2回あり、1回目は貞享2年(1685)4月、42歳の時で名古屋(愛知県名古屋市)を経由して木曽路に入り、甲斐(山梨県甲府市)を経て、江戸に帰着しています。この間約20日間の行程で「野ざらし紀行」に記載されているものの、木曽路の部分は基本的に割愛されたようで、当時の様子は判りません。2回目は貞享5年(1688)8月、45歳の事で美濃国から信州更科に旅した約20日間の行程を「更科紀行」に記載されています。芭蕉は門人の「越人」と世話役(従者)の「苛兮」の3人で目的地である更科姨捨山で月見をする為に8月11日頃に出立しています。当時の木曽路は悪路、険路が多く、旅寝(旅先で宿泊)する事も大変だったとされ、世話役のはずの苛兮も旅なれていないせいか、頼りなく、おどおどする様子がかえって面白く感じたそうです。

木曽路には見た事のない山々や大河(木曽川)が流れ、崖の下は千尋(1.8キロ)もあるように思われ、さらに平坦な道が無い為、大変びくつき、何度も危ない場面に遭遇し気持ちが穏やかな時が無ったようです。その後は木曽の桟や寝覚の床などを経て、猿が馬場や立峠などは48回も曲ったように感じる難所を越えたとあります。木曽路での松尾芭蕉の発句は木曽の桟の「桟やいのちをからむつたかづら」や鳥居峠の「雲雀より上にやすらふ峠か」、道中の様子の「木曽のとち浮世の人のみやげ哉」などが挙げられます。

木曽平沢・「送られつ をくりつ果ては 木曽の秋」の句碑。
・鳥居峠・「ひばりより 上にやすろう峠かな」、「木曽の栃 うき世の人の土産かな」の句碑。
藪原神社・「杜かげや われらもきくや 郭公」の句碑。
福島宿・「思い立つ 木曽や四月の桜狩り」の句碑。
・福島宿・「さざれ蟹 足這いのぼる 清水哉」の句碑。
・福島宿・「かけはしや 命をからむ 蔦かつ羅」の句碑。
・木曽の桟木曽の桟には「かけはしや 命をからむ 蔦かつら」の句碑。
・寝覚の床・「ひる顔に ひる寝せふもの 床の山」の句碑。
・馬籠宿・「おくられつ おくりつはては 木曾の秋」の句碑。
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木曽路・人物一覧
木曽義仲巴御前中原兼遠以仁王木曽義元木曽義在木曽義康木曽義昌真理姫石川貞清山村良勝細川幽斎
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