木曽義元

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人 物 名
備 考
・木曽義元・木曽義元は木曽家豊の嫡男とされ、義元の代から名前に「義」の字を入れ、明らかに木曽義仲の後裔を意識した行動を取った初めての人物とされます。以前は上州沼田郷(群馬県沼田市)を領していた秀郷流上野沼田家の嫡流、又は一族とされ木曽谷に本拠を移し、義元が権威付けの為に義仲の後裔を自称したとも考えられます。実績としては木曽氏の当初の菩提寺とされる定勝寺(長野県木曽郡大桑村須原宿)の保護や長福寺(長野県木曽郡 木曽町福島宿)の中興開基、鳥居峠の御嶽神社遥拝所の鳥居造営などが挙げられ、版図拡大にも尽力したとされます。永正元年(1504)に飛騨国守護の姉小路済継の家臣である三木重頼が王滝口から領内に侵攻し、その援軍として自ら兵を率いて戦場に赴きましたが、敵の別働隊に挟撃され敗走、さらに追撃を受けて深い傷を負ったとされ、その傷が原因となり亡くなっています。
・定勝寺・寺宝として絹本著色木曽義元像を所有し、長野県最古の武将像として貴重な事から長野県県宝に指定されています。
・玉林院・義元の次男が出家して「玉林」を名乗り上松館の麓に玉林院を創建。楼門は上松町指定文化財。
・御墓島・義元は永正元年(1504)に飛騨勢との戦いで負傷し、その傷が元となり死去。遺体は谷中の諸士が集まってこの地(御墓島)に葬られたと伝えられています。現在は享保元年(1716)に建立された墓碑があります。
・鳥居峠・明和年間(1492〜1501年)に義元が小笠原氏との戦いの際、峠に頂上に境内を構えた御嶽神社の遥拝所から戦勝祈願を行い見事勝利した事から、神意に感謝し麓に鳥居を奉納、この故事から鳥居峠の名称の由来になったと伝えられています。
・長福寺・大永年間(1521〜1527年)に義元が木曽谷に進出した際に叔父である信叔禅師(妙心寺住職)を招いて、荒廃していた長福寺を再興し中興開基となっています。
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木曽路・人物一覧
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