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井出家住宅(佐久市)概要: 井出家座敷は長野県佐久市臼田に位置している書院建築です。
当井出家の出自は不詳ですが、長野県南佐久郡南牧村海尻を本貫とする井出家は橘広房を祖とする橘姓とも云われています。
橘広房の子供の一人が井手右京進以重を名乗り、保元の乱の後に広房が信濃守であった事から信濃国佐久郡に落ち延びたとされます。
一方、橘諸兄の曾孫を祖とする一族が諸兄が井手の里を本拠地とし井手左大臣を号した事から「井出」姓を掲げたとも、甲斐国巨摩郡井出郷を本貫とした一族が地名に因み「井出」姓を掲げたとも云われています。
中世に入ると、信濃国守護職小笠原氏の一族で、伴野庄の地頭となった伴野氏に従い、戦国時代には井出長門守によって海尻城が築かれています。
武田家の信濃侵攻により海尻城が落城すると、井出氏は村上氏に仕えたようですが、村上氏が信濃国を去ると武田家に従ったようです。
井出縫殿尉知次は天文12年(1543)と天文17年(1548)には戦功を挙げ武田家から感状を賜ったものの、天正10年(1582)に武田家が滅びると、小田原北条氏に従っています。
当家は上記井出家の一族と思われ、戦国時代の混乱の中、当地に土着、帰農し江戸時代には名主などの上役を歴任しています。
特に、代官が領内巡視などこの地を訪れた際には、当家で宿泊、休息したと云われ、格式が高かった事が窺えます。
井出家座敷は代官など身分の高い人が利用することを目的に江戸時代中期に建てられたと推定される書院造りの建物で、木造平屋建て、切妻、銅板葺き、桁行11.85m、梁間9.04m、建坪約90坪余。
内部は、3畳の取次、式台付玄関、中の間は16畳、棹縁天井、床の間付、座敷は8畳、違い棚、床の間、天袋付。
入側は11畳、棹縁天井、座敷をL字型に囲んでおり、中の間と座敷の奥には通路と鍵の間3畳で構成されています。
特に、座敷は数寄屋造りで、皮付きの柱や長押、棹縁天井、欄間には精緻な透かし彫りが施されているなど格式の高い意匠が採用されています。
敷地内には主屋の他、切妻、鉄板葺き、一間一戸、真壁造りの表門や切妻、桟瓦葺き、土壁鏝押えの土蔵などが残されています。
井出家座敷は江戸時代中期の書院建築の遺構として貴重な事から昭和50年(1975)に長野県の県宝に指定されています。
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