佐久市: 旧中込学校

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概要・歴史・観光・見所
旧中込学校(佐久市)概要: 旧中込学校長野県佐久市中込に位置しています。旧中込学校は明治8年(1875)に建てられた建物で、佐久市出身の市川代治郎が設計、施工を担当しました。代治郎は二十歳過ぎから大工の道を志し、京都本願寺の棟梁水口若狭守や御用役人大工の小林源蔵昌長杢之助などに師事し、44歳で渡米しで西洋の建築技術を学びました。帰国直後に中込学校建設の話しが持ち上がり、文明開化の折、当校舎も洋風建築が望まれ代治郎に白羽の矢が立ちました。代治郎にとっても西洋で学んだ技術を郷里の学校建設に振るえることで喜んで引き受けたとされ数多く残された明細書に代治郎への給金や支払いが見当たらない事から無償だったのかも知れません。建築費も大部分が学区に入る村々からの寄付金で賄われ、資産家だけでなく一軒、一軒から集められ村にとっては後世に残る一大事業となりました。

旧中込学校校舎は木造2階建て、寄棟、桟瓦葺き、桁行20m、梁間12.8m、屋根中央に八角塔屋(太鼓楼)を付け正面2階には廊下状のベランダを廻し、玄関ポーチは大きく前に張り出し正面性を演出しています。外部の柱は円柱を採用し柱頭には細かな意匠を施し、窓は縦長で鎧戸付き、上部がファンライト風の半円形の飾りが付いています(玄関のみ半円形欄間)。さらに当時では珍しい色ガラスを嵌め込み、太鼓楼には世界の主要な都市名が書かれた方位図が描かれ子供達に日本と世界の橋渡しが出来るような仕掛けも施されています。旧中込学校校舎の内部は1階が講堂、第一教場、玄関、生徒控所、小使部屋、小使所、土間、2階は第二教場、第三教場、第四教場、校長室、教員控所、ベランダ、で構成されています。

完成当時は「ギヤマン学校」とも呼ばれ、各地からの見学者が大勢訪れその後に建てられた洋風学校の規範にもなりました。旧中込学校校舎は明治時代初期に建てられた現存しているものとしては日本最古の洋風学校建築として大変貴重な事から附として建築文書3点と共に昭和44年(1969)に国指定重要文化財及び国指定史跡に指定されています。現在、旧中込学校は資料館として学校教育資料を中心に展示を行い一般公開されています。

旧中込学校:写真

旧中込学校
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