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旧中込学校(佐久市)概要: 旧中込学校は長野県佐久市中込に位置している洋風学校建築です。
中込学校は明治5年(1872)に発布された学制に伴い、明治6年(1873)に佐久郡下中込村・今井村・三河田村の三村組合立で開校されました。
当初は下中込村に境内を構えていた小林寺の本堂を仮校舎として利用し、成知学校と称していましたが、明治8年(1875)に現在地である旧下中込村字前林に敷地を購入、当校舎を建設し、明治9年(1876)に第6大学区第17中学区第7番中込学校に改称しています。
大正8年(1919)に現在の成知公園付近に新校舎が落成すると、校舎としての役割を終えています。
旧中込学校は明治8年(1875)に建てられた建物で、旧下中込村出身の市川代治郎が設計、施工を担当しました。
代治郎は二十歳過ぎから大工の道を志し、京都本願寺の棟梁水口若狭守や御用役人大工の小林源蔵昌長杢之助などに師事し、44歳で渡米して西洋の建築技術を学びました。
帰国直後に中込学校建設の話しが持ち上がり、文明開化の折、当校舎も洋風建築が望まれた為、代治郎に白羽の矢が立ちました。
代治郎にとっても西洋で学んだ技術を郷里の学校建設に振るえることで喜んで引き受けたとされ、数多く残された明細書に代治郎への給金や支払いが見当たらない事から、無償だったのかも知れません。
建築費も大部分が学区に入る村々からの寄付金で賄われ、資産家だけでなく一軒、一軒から集められ村にとっては後世に残る一大事業となりました。
旧中込学校校舎は木造2階建て、寄棟、桟瓦葺き、ペンキ仕上げ、桁行20m、梁間12.8m、建築面積259.4u。
屋根中央には八角塔屋を設け、正面2階には廊下状のベランダを廻し、玄関ポーチは大きく前に張り出し正面性を演出しています。
八角塔屋には天井から太鼓を吊るし、10時、正午、3時などに打ち鳴らした為、周辺住民も太鼓の音で、食事やお茶の時間に合わせた事から、何時しか「太鼓楼」と呼ばれるようになったとされます。
さらに、八角塔屋には世界の主要な都市名が書かれた方位図が描かれ子供達に日本と世界の橋渡しが出来るような仕掛けも施されています。
外部の柱は円柱を採用し柱頭には細かな意匠を施し、窓は縦長で鎧戸付き、上部がファンライト風の半円形の飾りが付いており、玄関のみ半円形欄間となっています。
又、1階の欄間と2階の丸窓には当時では珍しい色ガラスを嵌め込られていた事から完成当時は「ギヤマン学校」とも呼ばれました。
旧中込学校校舎の内部は1階が講堂、第一教場、玄関、生徒控所、小使部屋、小使所、土間、2階は第二教場、第三教場、第四教場、校長室、教員控所、ベランダで構成されています。
内壁は白漆喰仕上げ、1階、2階とも中廊下式で、両側に教室などを配し、八角塔屋には回り階段で行き来していました。
当校舎が完成すると、当時としては大変珍しかった洋風建築だった事から、各地からの見学者が大勢訪れその後に建てられた洋風学校の規範にもなりました。
旧中込学校校舎は明治時代初期に建てられた日本最古の洋風学校建築として大変貴重な事から附として建築文書3点と共に昭和44年(1969)に国指定重要文化財及び国指定史跡に指定されています。
現在、旧中込学校は資料館として学校教育資料を中心に展示を行い一般公開されています。
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