円満寺(佐久市)概要: 大悲山円満寺は長野県佐久市岩村田荒宿に境内を構えている真言宗智山派の寺院です。円満寺の創建は平安時代の天長5年(828)、廣瓣により大悲山信光寺の房の1つとして開かれたのが始まりとされます。その後衰退しましたが、平安時代後期の康治2年(1142)、興教大師により律宗の寺院から真言律宗の寺院として中興開山しました。室町時代の大永年間(1521〜1528年)に兵火により堂宇が焼失し廃寺に追い込まれましたが、戦国時代に侶勇伝により再興され武田信玄の祈願所となっています。
その後、再び荒廃し、江戸時代中期の延享4年(1747)に再興しています。岩村田藩(藩庁:岩村田城)の初期の藩庁は中山道の宿場町である岩村田宿に接した陣屋だった為、円満寺の境内が陣屋から見ると北東方向に位置していた事から鬼門鎮護として藩主である内藤家から信仰されるようになり観音堂が造営されています。参道を覆う藤は開祖が京都から持ち込み植えたと伝わる古木で、地面まで届きそうになることから「砂ずりの藤」と称されています(現在の藤は延宝年間に再興された際に種を撒いたものとされます)。
現在の円満寺本堂は延享4年(1747)に再建されたもので木造平屋建て、寄棟、鉄板葺き、平入、桁行7間、梁間6間、外壁は真壁造り白漆喰仕上げ。観音堂は内藤家から造営されたもので入母屋、鉄板葺き、妻入り、桁行4間。山号:大悲山。宗派:真言宗智山派。本尊:不動明王。
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