佐久市: 八幡神社

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概要・歴史・観光・見所
八幡神社(佐久市)概要: 八幡神社の創建は伝承によると貞観元年(859)に滋野貞秀によって勧請されたのが始まりとされ、その後裔である望月三郎は本拠である望月城から境内が北東に当たる為、鬼門鎮守として篤く信仰しました。鎌倉時代に編纂された正式な歴史書である「吾妻鏡」でも"佐久八幡宮御前二十騎"と記され当時から広く知られている存在だったと思われます。延徳3年(1491)に領主である滋野遠江守光重が近郷7郷の総社として住民総発足の形を取り社殿を建立、その後も歴代領主から崇敬庇護され天正5年(1557)には武田左馬助豊(武田信玄家臣)、滋野印月斉、弥保姫(馬場遠江守信重息女)が社殿を修復し、寛文4年(1664)には酒井忠能(小諸藩主)が屋根葺き替え、元禄11年(1698)は松平乗寿(小諸藩主:石川美作守乗政)が屋根葺き替え、元禄16年(1703)、享保9年(1724)、寛保元年(1741)には歴代牧野家(小諸藩主)が社殿の修復を行っています。特に天明3年(1783)には小諸藩3代藩主牧野康満が寺尾山、諏訪山の用材を寄進し、庶民から浄財を募り本殿を造営しています。境内は中山道八幡宿(地名は当社の社号に八幡神社に起因すると思われます。)に位置していた事から、参勤交代で利用する諸大名や旅人、商人など多くの人々が参拝に訪れたと思われます。明治時代初頭に発令された神仏分離令により仏教色が一掃され郷社に列しています。祭神:誉田別命、息長帶比賣命、玉依比賣命。配祀:高良玉垂命(武内宿祢)。

現在の八幡神社本殿(一間社流造・銅版葺き・佐久市指定有形文化財)と拝殿(入母屋、銅板葺、平入、桁行3間、梁間2間、正面1間軒唐破風向拝付、内部には天明元年(1780)に長野県最古の算額が掲げられています。拝殿、算額共に佐久市指定文化財)は天明3年(1783)に小諸藩(藩庁:小諸城)3代藩主牧野康満によって再建され、随神門(神社山門:三間一戸、入母屋、瓦葺き、楼門形式、下層には随神を安置、佐久市指定有形文化財)は天保14年(1843)に小諸藩9代藩主牧野康哉が造営、瑞籬門(神社山門:切妻、銅板葺、一間一戸、佐久市指定文化財)は宝永5年(1708)に小諸藩初代藩主牧野康重が大願主となって造営した建物です。又、境内奥に鎮座している高良社は朝鮮の旧国名である高麗に通じる事から朝鮮半島からの渡来人が関わったと推定され、社殿(三間社流造・こけら葺き)は旧八幡神社本殿を移築したもので室町時代の延徳3年(1491)造営された当時の姿を留めるものとして昭和25年(1950)に国指定重要文化財(旧国宝)に指定されています。

八幡神社:写真

八幡神社
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