三帰翁伝説

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上松宿見帰・概要: 中山道(木曽路)の宿場町である上松宿(長野県木曽郡上松町)には「見帰」と呼ばれる地名があり仙人伝説が伝えられています。それによると、昔、仙人と思われる白髪、白髭の翁が当地に住み着き、不老長寿の妙薬を使い名医として医療に携わり住民達からも尊敬されていたそうです。翁は不老長寿の妙薬を作る為に三度山中に籠り、三度帰ってきた為、「三帰」という地名が成り、それが転じて「見帰」になったと伝えられています。

この伝説が広く知られるようになると、この伝説を題材に謡曲「寝覚」、「飛雲」が作られ、さらに人々から知られるようになりました。江戸時代初期の本草学者、儒学者である貝原益軒が木曽路を旅した事柄を纏めた「木曾路之記」にも「寝覚の床」と「三帰翁」の事を記載し、信じられない話であると評しています。

謡曲「寝覚」・概要: 木曽路の上松宿の名所として知られる「寝覚の床」には三帰の翁と呼ばれる老人が住んでいて不老長寿の薬を授けているという噂が立ち、その噂は都にも広がりました。その話しを聞き及んだ醍醐天皇が真相を知る為に、勅命により勅使を寝覚の床の三帰の翁の下に遣わしました。勅使が寝覚の床に到着すると、1人の老人と出会い、三帰の翁の話しを聞くと、翁は不老長寿の薬を3度服し、その都度若返りを果たした事から2千年も生き続け、特定な家が無いが暫く待っていると時期に寝覚の床に現れるのではないか、と話しました。さらに勅使が寝覚の床や地名の由来を尋ねると、老人は雄弁に答えて、遂に自分が三帰の翁である事を白状しました。三帰の翁は夜に再び寝覚の床に戻るので、その時に不老長寿の薬を渡しましょうとの約束をして姿を消しました。勅使は約束通りに夜更け頃に寝覚の床を訪ねると、天女と思われる絶世の美女が2人舞を舞い、さらに、三帰の翁が現れると自ら、私は薬師如来の化身で人の姿を変え世の中の無病息災に尽力しています、と告げ、天女と共に舞い始めました。すると、寝覚の床の川底から2匹の竜神が出現し、不老長寿の薬が入った壺を三帰の翁に渡しました。3人2匹の舞は夜明けまで続けられ、最後に三帰の翁が勅使に薬の入った壺を手渡すと、明け方の空に姿を消しました。

謡曲「飛雲」・概要: 紀州三熊野で修行を重ねた山伏が出羽三山の羽黒山(山形県鶴岡市)に参拝しようと木曽路を北上し当地(寝覚の床)で一休みしていると、1人の年老いた樵夫が出現し一緒に腰を下ろし紅葉を眺めながら様々な話しをしました。すっかり2人は仲が良くなり、樵夫は今宵、もう1度紅葉を見ながら朝まで語り合おうと約束し姿を消しました。山伏は夜まで時間があるので、その場で一眠りすると、霊夢に日頃から信仰していた熊野大権現の化身が立ち、先程の老人は「飛雲」と呼ばれる鬼神で山伏に危害を加えようとしている事を告げました。山伏が目を覚ますと、すぐさま、悪霊退散の祈念を行っていると、寝覚の床から黒い煙が立ち上がり「飛雲」が出現し、山伏に襲い掛かろうとしましたが、山伏がさらに祈念を強めると、その法力と熊野大権現の御加護により、何とか「飛雲」を退かせる事が出来ました。「飛雲」は力を失うと黒煙の中に姿を消し、その黒煙も風と共に見えなくなりました。

寝覚の床: 寝覚の床には浦島太郎が竜宮城の主である竜王から延命長寿の効き目がある秘薬の製造方法が記載されている「万宝神書」を賜り、それを元にその秘薬を製造していたとの伝承が残されている事から、三帰翁の伝説と通じるものがあります。どちらが元になったのかは不詳ですが、興味深いところです。

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※「木曽路(中山道):歴史・伝承・伝説」は「郷土資料辞典」、「日本の城下町」、「観光パンフレット」、「観光地案内板」、「関係HP」等を参考にさせていただいています。ただし、推論、私論が多い為、参考にする場合は自分で現状や資料などで確認してください。リンクはフリーですが写真、文章の利用は許可しませんので御理解の程よろしくお願いします。