木曽路:妻籠宿・鯉岩

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鯉岩・概要: 鯉岩は木曽路(中山道)の宿場町である妻籠宿(長野県木曽郡南木曽町)の北端に位置しています。古くから、岩の形が鯉が飛び跳ねている様に似ている事から「鯉岩」、「鯉ヶ岩」と呼ばれ、木曽路(中山道)妻籠宿を代表する名所の1つとして江戸時代後期の文化5年(1805)に発刊された「木曽路名所図会」にも中山道三名石(鯉ヶ岩・烏帽子岩・兜岩)の1つとして紹介されています。明治24年(1891)の濃尾大地震で鯉の頭に見立てていた上部出っ張りが崩落した事で、現在は大分見た目が変化しましたが、今までの歴史的な経緯や景観が評価され南木曽町指定名勝に指定されています。ただし、鯉岩と呼ばれるのはどうも江戸時代以降の事で、それ以前はこいこいでも、こちらの「恋」の方が一般的で地名の恋野の由来にもなっています。

木曽義仲伝説: 平安時代末期、木曽源氏の棟梁である木曽義仲が京都上洛の際、愛妾鞆絵御前(巴御前)とこの大岩の前で別れを惜しんだ事から、何時しか「恋岩」と呼ばれるようになったと伝えられています。

鎌倉武将伝説: 鎌倉時代、1人の武将が合戦に赴く際、この岩の前で許婚と「戦が終わるまで、この岩の下で待っていて欲しい。もし、生きて帰ってこれたら祝言を挙げよう。」と語り熱い抱擁をして別れを告げました。合戦は見事勝利し大功を挙げた武将は、この岩で再び許婚と再会を果たし、2人は結婚し幸せとなりました。この伝説から、何時しかこの大岩を「恋岩」と呼ぶようになったと伝えられています。

妻籠城の武将伝説: 戦国時代、木曽義仲の後裔とされる木曽義昌が妻籠城を築き、徳川方の大軍が攻めかかろうとした際、城方の1人の武将が、この大岩の下に意中の女性を誘い、恋物語を聞かせて口説いていた事から、何時しか「恋岩」と呼ばれるようになったと伝えられています。

石工伝説: ある石工が、この大岩から石材を切り出そうとし、ノミを入れようとしたところ、岩の精霊のものと思われる声が岩の中からしたので、石工は怖くなり逃げ出した事から、何時しか「声岩」と呼ばれるようになったと伝えられています。

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木曽路:歴史・伝承・伝説・民話・昔話
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※「木曽路(中山道):歴史・伝承・伝説」は「郷土資料辞典」、「日本の城下町」、「観光パンフレット」、「観光地案内板」、「関係HP」等を参考にさせていただいています。ただし、推論、私論が多い為、参考にする場合は自分で現状や資料などで確認してください。リンクはフリーですが写真、文章の利用は許可しませんので御理解の程よろしくお願いします。