木曽路:須原宿・定勝寺の化け猫

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定勝寺・概要: 定勝寺(長野県木曽郡大桑村)は木曽路(中山道)の宿場町である須原宿の南端に位置し、嘉慶年間(1387〜1388年)に木曽親豊より創建された古寺で木曽三大寺(定勝寺・興禅寺長福寺)の中では最古を誇ります。木曽氏初期の菩提寺として寺宝も多く、戦国時代末期の本堂はじめ、江戸時代初期の庫裏と山門は国指定重要文化財に指定されています。当初は木曽川沿い位置していましたが、度々洪水により被害を受け、慶長3年(1598)に現在地に遷っています。境内は木曾義在居館跡とされ、境内背後の山の山頂には当初の木曽氏の居城だった須原城が築かれていました。又、定勝寺は木曽路(中山道)の名所でもあり江戸時代後期の文化5年(1805)に発刊された「木曽路名所図会」にも挿絵付きで紹介されています。「蕎麦切り」という名称が使われた年代が明確な日本最古の古文書を所有している事から定勝寺は「蕎麦切り」発祥の地とも云われています。

化け猫伝説: ある時、定勝寺の住職が雨に打たれ凍え死にそうな子猫を見つけ、哀れと思い寺に連れ帰り、結局子猫は寺に住み着いてしまいました。猫は予想を超える長寿となり、その間住職は2度交代し3人目の住職の時には虎に間違える程に成長してました。しかも、最近になると近所から家畜が何者かに食い殺されたという話しが度々聞こえるようになり、その影から定勝寺の巨大猫が犯人ではないかとの噂が立ちました。その後、言い訳出来ない証拠を突きつけられた事で困った住職は、大猫を呼び出し、これ以上お前を庇う事も飼う事も出来ない、しかし、私にとって可愛いお前を殺す事も出来ないし、村人が殺しにくるかも知れない、お前の好物を沢山持たせるから少しでも遠くに逃げ、これからは絶対に家畜を殺生するな、と言って大猫を定勝寺から逃がしました。それから数年の歳月が流れ、大猫の話しをする人も居なくなった頃、住職の霊夢に大猫が出現し、近いうちに尾張の大殿(尾張藩徳川家当主)が亡くなるでしょう。その際、怪物が葬式を襲いますので、住職は葬儀に赴き、なるべく大きな声を張り上げながら御経を読んでください、これで怪物は去っていくでしょう。と告げて姿を消しました。半信半疑だった住職でしたが、数日後、本当に大殿が亡くなったので、定勝寺に伝わる由緒ある御経を携え尾張名古屋にある徳川家の菩提寺で行われる葬儀に臨みました。葬儀が始まると、急に辺りが暗くなり大雨と強風と共に、今まで見た事のない化け猫が現れ、棺桶に向かい襲い掛かりました。住職は直ぐに、以前飼っていた大猫の仕業と悟りましたが、夢で言われた通り、棺桶の前に立ちはだかり、大きな声で御経を何度も読み上げると、化け猫は苦しんだ振りをしながらその場を立ち去り天気も回復し葬儀も無事に執り行われました。大猫が住職に対しての恩義を感じての自作自演でしたが、誰1人その事に気付く人もおらず、結局、住職の名僧と法力の名声は領内に広がり、尾張徳川家も感謝の意から定勝寺に寺領として100石と山一つを寄進したと伝えられています。

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木曽路:歴史・伝承・伝説・民話・昔話
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※「木曽路(中山道):歴史・伝承・伝説」は「郷土資料辞典」、「日本の城下町」、「観光パンフレット」、「観光地案内板」、「関係HP」等を参考にさせていただいています。ただし、推論、私論が多い為、参考にする場合は自分で現状や資料などで確認してください。リンクはフリーですが写真、文章の利用は許可しませんので御理解の程よろしくお願いします。