巴渕伝説

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巴渕・概要: 中山道(木曽路)の宮ノ越宿(長野県木曽郡木曽町日義)に程近い場所に「巴渕」があります。伝説によると、この渕には古くから竜神が棲んでいました。竜神は木曽義仲の守護神になるべく義仲の養父である中原兼遠の娘としてこの世に生を受け巴と名付けられました。巴はこの渕で修行を重ね、竜神としての霊力と、武人としても剣技、体術を身に着け、やがて義仲の寵愛を受け愛妾として多くの戦場を共に戦う仲となり、守護神として何度も義仲の命を救いました。しかし、寿永3年(1184)の粟津(滋賀県大津市)の戦いに敗れると義仲の命運が尽きました。巴は守るべき義仲を失うと、本来の竜神に姿を戻し、この渕の底に姿を消し、村人は何時しかこの渕を「巴渕」や「巴が渕」と呼ぶようになったと伝えられています。

巴御前・概要: 巴御前は謎の多い女性で、一般的に資料的な価値が低いとされる軍記物である「平家物語」と「源平盛衰記」に登場します。概ね、中原兼遠の娘で、容姿端麗である一方で武勇の誉れも高く、義仲に従う大将の1人として数々武勲を立て敵将からも恐れられる存在として描かれています。しかし、幕府による正式な歴史書である「吾妻鏡」をはじめ、1級資料と呼ばれる古文書や日記類で巴御前、又は雛形になるような人物を見出せ無い為に架空の人物とも云われています。ただし、「平家物語」と「源平盛衰記」の影響により、巴御前は義仲の愛妾、女武者として半ば実在する人物として知られるようになり全国には巴御前の伝説、伝承が伝えられ、墓碑も当地である長野県木曽郡木曽町日義の徳音寺(徳音寺は義仲の菩提寺とも云われ、義仲や巴御前の墓碑が建立されています。)をはじめ各地に点在しています。宮ノ越宿周辺には、上記の「巴渕」、「徳音寺」の他、数多くの義仲、巴御前関係の史跡が点在しています。

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※「木曽路(中山道):歴史・伝承・伝説」は「郷土資料辞典」、「日本の城下町」、「観光パンフレット」、「観光地案内板」、「関係HP」等を参考にさせていただいています。ただし、推論、私論が多い為、参考にする場合は自分で現状や資料などで確認してください。リンクはフリーですが写真、文章の利用は許可しませんので御理解の程よろしくお願いします。