兜観音

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兜観音・概要: 兜観音は木曽路(中山道)の宿場町である妻籠宿(長野県木曽郡南木曽町)と三留野宿の中間に位置しています。由来は、平安時代末期に木曽義仲が妻籠砦(後の妻籠城)を築いた際、北東の方角に位置する当地に鬼門鎮護として一宇を設け、義仲の兜の中に納められた観音像を安置したのが始まりと伝えられています。ただし、境内には兜の形に似た大岩があったとされる事から古代からの素朴な自然崇拝的な信仰が初源だったとも考えられます。

兜観音・伝説: 戦国時代の木曽谷の領主で、木曽義仲の後裔を自称する木曽義昌は武田勝頼を裏切り、織田家に転じ、織田家の没落後は徳川家に属するようになっていましたが、天正12年(1584)、豊臣方と徳川方との戦いである「小牧・長久手の戦い」の際、突如として豊臣方に転じました。徳川家康の怒りはすさまじく、家臣である菅沼定利、保科正直、諏訪頼忠に命じて総勢7千名の大軍を持って木曽攻めを行い、義昌は重臣山村良勝を妻籠城の城将として配して、周辺の土豪を妻籠城に集結させ籠城戦を展開しました。しかし、支城である馬籠城(岐阜県中津川市)が落とされ、妻籠城も落城寸前に追い込まれましたが、義昌が「兜観音」に必死に戦勝祈願をしたところ、観音堂から白い鳩が出現し、妻籠城の天守の屋根に舞い降りました。これは、かつて、木曽義仲が兵力では劣る平家に対して倶利伽羅峠の麓に鎮座する埴生護国八幡宮(富山県小矢部市)に戦勝祈願したところ白い鳩の導きにより勝利したという故事と酷似していた事から、妻籠城の城兵は歓喜しその勢いにより、城を守り抜く事が出来たと伝えられています。この伝説は江戸時代になっても語り継がれ、参勤交代で中山道を利用する大名達は兜観音の前では下馬し参拝したそうです。

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※「木曽路(中山道):歴史・伝承・伝説」は「郷土資料辞典」、「日本の城下町」、「観光パンフレット」、「観光地案内板」、「関係HP」等を参考にさせていただいています。ただし、推論、私論が多い為、参考にする場合は自分で現状や資料などで確認してください。リンクはフリーですが写真、文章の利用は許可しませんので御理解の程よろしくお願いします。